数週間ぶりに電源を入れた

 MacBook Proが2台ある。メインで使っているほうはキーボードが少しかすれてきた。とくにAのキーなどは事故にでもあったかのごとく傷がついて壊滅的。自分はAだとわかっているからいいが、もし表示を見て確認しながら使いたい人がいたら、わたしのこのキーボードは見せられない。
 もう1台は、以前に内蔵バッテリーを交換しようとアップルストアに持っていったら純正品はもう生産終了で交換できないと言われたことで、使用頻度が落ちた。家で電源につなぎながら、寿命が車で可愛がってくださいと、男性スタッフの方が自分のマシンであるかのようにうるうるしながら、そう言ってくれたのだが、ついつい。
 その後、いちおう純正品ではない内蔵バッテリーを買ってみた。それを装着すればいいのだが、面倒になって放置するうち、月日が流れた。いったいどれくらいの月日が経ったのだろう。おそらく1年半くらいか——? その間、ごくたまにデータを引っ張り出すために立ち上げては最小限のメンテナンスをして、あとは現在のマシンばかり使ってきた。
 だが、内蔵バッテリーを交換して動かせるのならば、これからも使ったほうがよいに決まっている。少なくとも見た目はきれいだし、キーボードを見ていると「いまの子と同じくらいまで文字がかすれる将来があったのに、使ってあげなかった」という思いが。

 明日から、こまめに立ち上げることにした。音楽をかけてもいいし語学教材のファイルを再生してもいい。映画でも見るのに並べて使えば、ながら見しながら別作業もできる。

 またよろしく。

悩ましい飲み物、ふたたび

 このところ、わたしが歩いていて目にするどこのセブンイレブンにも、入り口に「カフェラテ」の文字が、横断幕のように長細くかかっている。東京以外の「○○市でコンビニ強盗」などのテレビニュースにもこの文字が映るので、おそらく全国的にPRしているのだろう。

 飲んでみたいのだが、買うチャンスがない。
 そもそもセブンカフェの普通のコーヒーすら、実は一度しか飲んだことがない。理由は「どこで飲んだらいいのかわからない」からだ。一度だけ飲んだのはイトーヨーカドーのイートインスペースだった。そこならば座って飲めるからだが、カフェラテは中野のイトーヨーカドーでやっていないようだった。
 まさかコンビニの前で立ち飲みするのもどうかと思うし、熱いものを歩きながらは飲めないし、家に持って帰って来てから飲むくらいならば自宅でミルク多めのコーヒーを淹れる。公園など広い場所の近くで買えればよいのだが、だいたいそういう場所では普通に珈琲を出す店があるもので、わざわざセブンイレブンにこだわるのもどうかという気がしてしまう。

 うまいのかどうか不明だが、気になる。いったいいつ買って飲めるのか。困ったものだ。
 ちなみに、普通のセブンカフェの珈琲は、ぜったいに何回も飲みたい味ではなく、普通だった。カフェラテもそうかもしれないが…?

ジュピターコーヒーがけっこう好き

 本社が東京で、各地に少しずつ店舗があるらしい「ジュピターコーヒー」。実はわが家から徒歩圏内である西武新宿線野方駅近くにも店舗があるとわかったのが今年の3月。

 3月に神戸にバウム博で出かけ、翌日に岡山の後楽園を散策して、昼過ぎに駅に戻った。地下街のジュピターコーヒーでなんとなく好みの商品を見つけ、荷物が増えることもいとわず持って帰って来てから検索すると、てっきり西日本の店かと思ったら本社は東京で、近所にも店舗。気づいていなかっただけだった。
 さらに盛岡にもあることがわかった。家族にそう話すと、わたしが何年も前に買い物をしていた店に違いないという。さらに家族も、盛岡に出かけるたびそこでチーズを買っていたようだ。ふたりとも店名を気にせずに買っていたことになる。

 商品はカルディほど気どっていなくて、店の中もややスーパーに近い陳列方法。だがかゆいところに手が届くような品揃えが心地よい。今日はなんと、コーヒー屋だというのに申し訳ないが、豆を初めて買った。注文の際に挽いてもらったら、さほど待たずに密封パックにしてもらえた。なんだか短時間で仕事が手際よかった。
 カルディでもそうなのだが、わたしは食品だけを買って店を出てしまうことが多く、コーヒー豆を買うことがほとんどない。今回は印象がよかったので、また買おうかと思う。豆はまだ使っていないが、ああいう手際のよい店なら、きっと味も間違いないだろうと、勝手に予想している。

 

雌ヤギ2匹飼育の小学校で、なぜか子ヤギが誕生

 ほのぼのする記事である。つっこみどころもあって、なかなか(笑)。
 琉球新報 2017.08.18 謎の(?)子ヤギ誕生 雌ヤギだけ飼育の小学校

 勝手に出かけてしまうことがあるヤギ。つまり、そんなに厳重な監視をしなくても、いつか帰ってこられるような「ゆるい」環境なのだろうし、おそらく治安もよいのだろう。

 名前を募集したところ、生徒数163人の学校で160人から応募があった…とのこと。残る3人が気になる(笑)。

 ヤギがゆるゆると飼えるような学校があるとは、ほんとうにうらやましい。

肩の件、ようやく光明?

 実は11日付けで書いた「数日安静にしているくらいでは、おそらくよくならない」という悪い予感が当たってしまい、13日の日曜日夕方には、左の上腕を中心に痛みが激しく、しかも一時的とはいえ指先までじーんとしびれるような状態に。

 当然のこと夜も眠れるはずがなく、不安と疲れ、そして「寝なければという焦り」によってのたうちまわり、就寝前と明け方の2回ほど鎮痛剤を飲んで、ようやく朝を迎える。

 その朝わたしが願っていたのは「これ以上悪化したくない」、「鎮痛剤だけは山ほど確保しておきたい」ということだったので、まず馴染みのクリニックの診察を受けて鎮痛剤をもらうことを考えた。そこは内科が中心だがとりあえずなんでも診てくれるし、外科もやっている。整形外科で通院している別の病院が夏休みだからとりいそぎ鎮痛剤だけほしいと言えば、出してもらえるはずだった。

 さて、朝の予約開始時間を少し過ぎたころそう決意し、ネットから予約状況を見てみると、午前から30人くらい診察待ちになっていた。これでは午前に並んでも診察は午後だ。
 予約をあきらめて午後の窓口に直接並ぶことにした。ネットからよりも実際の窓口に並ぶ人のほうが少し早く受付開始になる仕組みなので、気分に余裕があるならば、そのほうが確実なのだ。

 午後の受け付け開始のタイミングで出かけてみると、クリニックのスタッフが小声で話している内容によれば、午後の受け付け開始時間になってようやく午前の患者が終わったらしい。これでは医師は休憩も取れないな、お気の毒に…。お盆で休んでいる小規模クリニックが周辺に多いので、よけいに混雑が集中したのかもしれない。
 午後はわたしほか数名の方々が受付をして、その後はさほどの混雑もなく診察が進んだが、できるだけ午前に診てもらいたいという心理は、やはり大勢の人に共通しているのだろう。あるいは総合病院のように午前しか診てもらえないと思ってしまうのだろうか。

 顔見知りの医師にわけを話して、指示されたとおりに腕を動かしてみせたところ、動きそのものは問題ないので、肩の関節というよりは筋肉痛のような局所的な症状だろうということになった。とくにレントゲンも撮らずに、鎮痛剤と湿布を処方してもらえた。ありがたかった。

 通院の往復でも、わずかな荷物のほかは傘だけで、重い物を持たないように注意したが、やはり帰宅後にどっと疲れ、そして痛みが。

 日曜の晩、つづく月曜日は、もしやほんとうに悪化してしまうのではないかと思うほど、何をしても苦しかった。姿勢を変えるとそのタイミングで体が痛さを思い出し、また次の姿勢に慣れるまで上半身が悲鳴をあげた。鎮痛剤は日曜夜から火曜までで、1日2回か3回くらいは飲んだと思う。湿布を貼って、薬を飲んで、いつも通りに生活をするしかなかった。痛いからと横になっていても痛みが治まるわけではなく、むしろ何かをしていたほうが忘れられた。

 ポケモンgoも、悪天候で傘を差しながらであるためほんの短い距離だけだったが、毎日出かけた。動かなければ肩が固まってしまうような恐怖と、「意地でもいつも通りのことをしてやる」という思いがあった。

 ところが水曜日。朝のうちに少し両方の肩が重苦しいと思っただけで、鎮痛剤を飲もうという気分にもならなかった。午前に、今後の外出で肩を大切にするため注文した普段使いのリュックも到着。気分が明るくなった。午後になって少しまた買い物とポケモンに出た。傘を差しながらの外出で心配だったが、リュックのおかげで楽に移動できた。
 帰宅して、さすがに肩が重かった。だがすぐさまうずくまるということもなく、湿布も夕方以降になって貼った。

 このまま、苦痛の山を越えたのであればよいのだが…油断はできない。

ルターって、奥さんいたのか

 思いっきり俗物なタイトルにしてしまったが、宗教改革で知られるような人は生活感がないような気がして、既婚か未婚かなどとはまったく考えてみたこともなかった。奥さんがいたそうである。

 2017.08.15 47news → 【世界から】ルターの宗教改革から500年 偉業支えた「強い妻」

 記事をざっと見たかぎりでは修道院を脱走した奥さんがルターの身の回りの世話を買って出て、それが結婚に結びついたようだ。ルターも奥さん(カタリーナさん)を愛し、妻が遺産を受けとるということがなかった当時に、妻を相続人にしたいと意思表示したそうである。

 高校のころはルターに関する本を何冊か読んだような気がするのだが、そのときもし奥さんの話でも出ていたら、もっと早く、勝手に親しみをいだいていたはずと思う。

珈琲の自家焙煎

 いつか自家焙煎をしてみたいと思うものの、まだ度胸が出ない。何年かして自分の珈琲の木に実がなることがあったら、そのときまでには自家焙煎を勉強しておきたいという気持ちだけはある。

 ネットで、少しだけ加熱してあるコーヒー豆が売られていることを知った。自宅で仕上げの加熱をすればよいらしい。値段もさほど高くないので注文してみた。お盆明けに郵送で出荷だという。

 緑茶も紅茶も飲まないわけではないが、1日3杯以上飲むのは珈琲だけである。珈琲が飲めなくなる状況が生じたらどうしようと思うことがある。今日も飲めて幸せだと感じることも。米や醤油でそれを思ったことはないのだが、珈琲だけは、なぜか思う。

 お盆明けが楽しみだ。

「ございません」

 義母のデイサービスは週に4回で、きちんと施設の方が車で送迎してくださる。利用者の多い日ならば何軒も回った後にほとんど遅延もなくわが家までお越しになり、段取りは完璧。そしてお疲れだろうに、係のみなさんがどなたもてきぱきとしていて、ありがたい。

 今日、施設の方がいつも通り「○○さん(義母の名)、おはようございます」と声をかけてくださった。義母は認知症が進み最近は足腰もだいぶ弱っているが、何かを話しかけられたら答えなければいけないという習慣だけはしみついていて、おはようございますと言われた直後に「ございません」と答えた。
 おそらく「とんでもございません」などのように、何か「これは否定しておくべきことだ」という勘違いがあったのだろう。挨拶をされたら何かを答えるんだという意識が、言語(単語や言い回し)の理解が乏しくなってきてもなお機能する事実に、ちょっと新鮮な驚きがあった。

 最近、何かを言いたいのかどうかもよくわからないのだが、何かの弾みにスイッチがはいると、ずっと「やーやー、いやいやいや、やーやー、いやいや」と、延々と言いつづけることが増えてきた。これは「嫌」のほうの「いや」ではなくて、呼びかけ(いや〜誰それさん)などの「いや」である。
 以前は言葉が出ないときに3回くらい(やーやーやーなど)言うことがあっても、10回以上もこればかり言われてけっきょく内容がないことがつづくと、こちらも神経がまいってしまいそうになって、なんとか聞かずに済むようにしたいと、そればかり考えてしまう。

 言葉が思うように出てこないもどかしさを感じて、ひとまず何かを言おうとしているのか、あるいはただ「人のいる場所での無音状態が怖い」のか、とにかく、何でスイッチがはいるのかがよくわからない。トイレに行ってとか、歯磨きをしましょうとか、こちらが声をかけたときにもそうなるし、何かの動作をはじめたときに自分から言いだして止まらないこともある。

 いっそ、今朝の「ございません」くらいに、言った理由が想像しやすい言葉であるならばまだ助かるのだが、あくまでも「やーやーやー」とか「いやいやいやいやいやいや…」である。気が滅入る。

四十肩の、ついてない話

 7月上旬に整形外科で右肩の相談をした。漢方薬2種類を処方され、週に1度は肩のリハビリとヒアルロン酸注射を受けるという話になった。先日の火曜日が注射4回目で、5回まで受けると1セットだという。注射が終わってわたしは医師と話し合い、「だいぶ痛みもとれたし、湿布は半量でよい、薬も1種類ということで」という話がまとまったため、帰宅。

 ところがその夕方から、あろうことか「左肩」が、痛くなった。

 信じられないという気持ちと、翌日からどうすればいいのかという思い(どちらの腕で荷物を持つべきなのかとか、雑多なこと)が頭をよぎり、さらには医院が夏休みで次の通院が再来週になることへの不安など、次から次へと考えてしまう。考えてもしかたがないし、日々どこにも出かけないわけにもいかないのだが、その帰宅後にはやはり、荷物を少なめに持ったつもりでも左肩が痛い。ぱんぱんに張っている。

 おそらくこの1か月、できるだけ右をかばおうとしてがんばってきたのだろう。数日湿布を貼った程度でよくなることは、おそらくあるまい。

 薬が1種類になったとはいえ、そして湿布が半量になったとはいえ、わたしは無理をしない程度の肩の運動をこれまで療法士さんに習ってきたわけだから、そっとそっとそれをくり返しながら、再来週の通院を待つしかないのだ。問題は次回の通院でヒアルロン酸注射の最後の1回を右肩に打つのか、または痛みの位置が変更になったということで次回は左肩になのか、あるいはまさかの両方なのか——。夏休み明けで半端なく混んでいることだろう。考えただけでうんざりする。

 いちばんよいのは、この数日を安静にして、左の痛みが弱まることなのだが、そううまくいくだろうか。痛みが弱まれば、わたしはもう少し明るく物事を考えることができる。何事も気の持ちようだ。少しだけでも、肩が楽になってくれたらありがたい。

フォント変更で気分もリフレッシュ

 ワープロソフトよりも普通のテキストエディタをよく使う。文章を書いたらそれを印刷するというよりも内容だけ切りとって画面に貼り付ける(ネットに載せる)ことが多いため、フォントを変えて楽しんでもそれは完全に「書いている間の自分だけの楽しみ」であるわけだが、それでもやはり、気分が変わって楽しい。

 これは游教科書体。Mac OSにプリインストールされていたものだと思う。Macでのフォントについては、こちらのサイトで見やすくまとめてくださっているのでご紹介 → 2016年09月21日付け macOS プリインストール日本語フォント追加の歴史

游教科書体

游教科書体

 上記はJedit Xというテキストエディタを使って書いてみたもの。縦書きが優雅にできる高性能のテキストエディタは、やはりよいものだ。

 階層を掘り下げながらのマルチファイル検索と置換ができる機能がもしあったら、Jeditは最強だと思う(注: わたしが使っている製品の後継品がそれに対応しているかもしれないが未確認)。そうしたファイラー機能がついているという意味では、縦書きに対応していなくても英語アプリのTextWranglerほど便利なものはない。