Akismetの「API有効期限切れ」とは、なんぞや?

 もうかなりの年数(おそらく10年程度)使っているWordPressだが、なかでもAkismetというスパム除去フィルタのプラグインには、ほんとうにお世話になっている。

 さて、先ほど何かのはずみにメニューの中でAkismetのお知らせのようなものが、押してくれと言わんばかりに目立っていたので、何気なくクリックしてみたところ、なんと「APIキーの有効期限切れ」だという。

 これまで無料で使わせてもらっていたが、APIキーは初回に一度入力したのみだった。何かしなければならないのかと、画面を進んでいくと、その有効期限を更新する画面がちょっとくせ者で…。

 出てきた選択肢はこの三つ。

 (原文は英語で、だいたいの雰囲気)
 1. スパム除去ができればよい個人使用 どれくらいの価値を感じていますか?
 2. 高機能な月額○○ドル
 3. もっと高機能な月額□□ドル

 これは、なんだろうと思った。いままでもこんな更新をしたことが、一度でもあっただろうか。記憶にない。だがカネを払わずに使ってきたことだけは自信を持って言える。
 有料のプラグインになったという話は聞いていないので、いちおう個人使用を押してみようというつもりはあったのだが、念のために検索すると、ひとさまのブログのいくつかで「個人使用で、価値のバーをグイッと無料まで下げていってふたたび使える」という情報が。申し訳ないのだがその通りにさせていただいた。価値はとても感じているのだが、定期的に同額ずつ払うことは、想定していなかった。

 1回かぎりの「お気持ち寄付」のような使い方ができるなら、今後は検討したいようにも考えている。

ビットコインについて、検索してみた

 2年くらい会員になっている写真ACが、将来的に海外サイトで素材提供をするという。
 現在のところ、日本国内からのアクセスでダウンロードされたものはダウンロード回数に応じて寄付金にまわるほか、写真提供者へも小銭になって還元されるが、海外サイトが実現した暁には同じシステムの導入は当面は無理だそうだ。そのため、ビットコインの口座を登録してみれば、誰かが小銭をくれるかもしれない、ビットコインの口座を入力しましょうとの案内が来た。

 わたしはトラブル防止のため、海外サイトへの写真提供はしないつもりだが、いちおうビットコインについて調べてみた。仮に誰かが小銭を投げてくれたら、日本円にすることは簡単なのだろうか。

 だいたい、こんな感じらしい。

 ■ まず、ビットコインの口座を開設 (これはすぐできて、個人情報も提供しなくてよい)

 ■ 個人情報をどこにも提供しないまま、もらったコインを何かに使いたい人は
 ○ 個人的に誰かに渡す(たとえばフリマの代金として渡すなど)
 ○ ビットコインで買い物可の通販サイトや大型量販店(家電屋など)で買い物

 ■ しっかり現金として使いたい(銀行口座に振り込みしてほしい)
 ○ ビットコイン交換所として知られているオンラインサービスが複数あるので、いちばん自分に合ったものを探して登録。そのサービスを通じて現金化を依頼すると1件あたり数百円の手数料で、銀行口座に振り込みしてくれるとのこと。
  ビットコイン交換所に会員登録するには、身分証明書が必須。また、現金化に際しては、銀行口座と申込人の名前が同一でなければ処理してもらえないとのこと。

 ■ 人からもらうための口座開設ではなく、支払いに使いたい(ビジネスまたは投資としてビットコインを購入したい)
 ○ オンラインの交換所、販売所などで購入(個人情報が必須)、もしくは将来的に数が増えるかもしれないビットコインATMで、個人情報をその場でスキャンするなどしてビットコイン購入。もっとも、このビットコインATMは、現状では都市部に少しあるだけのようだ。

 わたしは知人らとのやりとりで、小額ならばAmazonギフト券Eメールタイプというのを使っている。金額も1円まで指定できて便利だ。だが何万円〜何十万円などの高額であれば、それだけの額面でAmazonのギフト券をもらっても困るので(それにおそらくAmazonギフト券は他者へのギフト券として転用できないので買い物の権利ばかりが溜まっていくはず)、それならばビットコインを使ってみようという人も、いるかもしれない。

 ひとまず、今日のところは、調べてみただけ。すぐ古くなる情報なので記事中にリンクは貼らなかったが、ご関心のある方は、ぜひ検索されたし。

休業が多いのは、いまも水曜日だろうか

 以前から「小規模の小売店は水曜日定休が多い」というのは定説だったが、最近でも感じるのは理容室の月曜定休、美容室の火曜定休。そして菓子屋やパン屋は月曜(または火曜)が多く、さらに意外なことに(うちの近所だけかもしれないが)医師が1〜2名の小規模医院には木曜休診も多め。

 困ってしまうのが、出かけたい場所が月曜または週が明けた最初の平日に休業の場合だ。博物館や美術館などなかば公的な娯楽は月曜休館だが、ハッピーマンデー制度で年に数回は休日扱いになるのが月曜日の宿命だ。それでも公的な場所はたいていホームページなどに予定が書いてある。だが小規模な店(菓子店など)でホームページもない場所は、行ってみないとわからない場合も。

 金曜日に休む店はまずないとだけは、共通認識としてあると思う。だが金曜にばかり予定を詰めこめない。人が同じことを考えれば金曜日はどこも混雑するので、週の前半などから順序よく用事を済ませておきたいのが本音。わが家の場合は火曜日は義母関連の用事(通院またはケアマネさん訪問)で潰れることが多く、木曜日はわたし自身の通院がはいることもあるため、あまり大きな予定は組んでおけない。金曜日は、雑多な用事を詰めこむには貴重すぎる。

 明日の月曜日午後に少しだけ出かけたいのだが、目当ての店のうちひとつが定休日。なかなかうまくいかないものだ。

七転び八起き、笑いが肝心

 実は昨日ちょっとショックなことがあって、人生について少しばかり考えてしまったのだが、今日になって30分のつもりで昼寝をしていると、たまたまそれを目にした連れが笑っていることに気がついた。

 どうやら、わたしは夢を見ながら笑っていたらしい。満面の笑みだったようだ。

 そのとき見ていた夢は他愛もないものだった。5両くらいの編成の大型高級バス(電車ではない)で、中がホテルの部屋か、あるいは劇場の隅のようなラウンジを思わせる場所。とくに決まった席というのはなさそうなので、わたしと、同行していた若い連れの女性とが「ここなら腰掛けてもよいだろうか」という場所を見つけた。

 目の前には不思議な形の、寝台のようなものがあった。寝台と違って真四角だがシーツのようなものがかかっていて、見た目としては大きくて表面がふかふかのコタツのようだったが、その上に、鼻歌を歌いながら寝転ぶような仕草で細身の男性が着替えをしていた。脱ぎながら、寝転ぶついでに足を高くあげたり、何やらナルシストっぽいお兄さん。さっさと着替えて普通に座れば次に来る人たちも利用できるのになぁと、のんびり眺めていると、そのお兄さんのすぐ脇に、性別はわからないが普段着を着た中高年がやってきて、腰をおろした。
 そのお兄さんのことはまったく意に介していないようで、お兄さんのほうもまったくその人物に気づいていない。やがて、お兄さんが「ここが決めのポーズ」とばかりに寝返りを打ちながらポーズをとったときのことだ。あとからやってきた人物が、重そうではないがある程度の大きさがあった手荷物をお兄さんの腹部にポンと置いてしまった。
 埋もれるお兄さん。
 それがあまりにこっけいで、わたしは実際の顔に出るほど、夢の中で笑っていたらしい。

 わたしが笑っていたと言いながら、連れが笑っていた。

 なんだ、昨日はあれこれ考えたけれど、人間は、笑えるんだ。
 そう気づいたら、明るくなった。

安らぎ、愛着。身近なことから守っていく大切さ。

 数日前の夕方、すっかり日が短くなって5時を過ぎれば暗くなる川べりを歩いていた。義母がその日は施設にショートステイに出ていたため、わたしは連れとふたりで、普段なら一緒には外出できない時間帯に何を急ぐわけでもなく、ただ家にもどろうとしていた。

 そのとき川沿いの薄闇をかきわけるかのように、わたしたちが越してきてからできたスーパーと、つい最近になって開店した大型店から出る電灯の明るさが、ふんわりと目の前にひらけた。まるで凍えるような寒い日に通りの家の窓から漏れてくる暖かさのように、なんだか特別の明かりを見ているような気がしてきた。

 いつも見ているはずの光景なのに、それがとても美しく、そして同時にはかなく感じられた。

 住まう土地への愛着や、日々の暮らしの静けさ、いませめて自分の周囲だけでも平和であることへの感謝は、こういう何気ない光景から自然にめばえてくるものだと、しみじみ感じる。ひとりひとりが、まずは自分の周囲だけでもと心がけて争いの種を排除し、回避し、だけれども身を引きすぎずに言うべきことはきっちりと言いながら暮らしていくことで、まだ守れるものはたくさんあるのではないか。

 11月7日付の日経新聞記事「流れかけた陛下とトランプ大統領の会見」によれば——
 米国トランプ大統領来日の際、両陛下との会談に先立って、米国の警護担当者は何度も「事前に場所をチェックしたい」と、天皇家のお住まいであることも配慮せずに事前チェックを強く要求してきたのだそうだ。記事を読んで驚いたわたしはアメリカの知人に「これって失礼ではないのか」と尋ねた。その知人曰く(アメリカの傾向としては)「いじめて要求を押しつけ、相手がどこで折れるかで外交を考えていくのだろう」と、あっさりした返事。

 わたしは、その知人の意見をアメリカらしいと思いつつも、やはり心のどこかで「はしたない」と考えてしまう。

 だが、はしたないとこちらが考えても仕方のない相手が、日米のように切っても切れない間柄だった場合は、今後どうしていくべきかを考えなければならない。
 どう付き合っていくべきか。次回からも根気よく相手の無茶な要望をはねつけるだけなのか、あるいは自分たちも今後は相手にずうずうしく要求して殺伐とした雰囲気になっていくのか。
 なめられたくないという思いと、同じことはしたくないという思いと。

 平和は守りたい。だがそれはアメリカの言いなりで武器を買うことでもないし、アメリカにへいこら協力することでもない。国民のひとりひとりが、ひとりでも、もう少しまじめに国について考えていくことができたら、いくらでも選択肢は広がる気がする。

人はなぜ昔のものを集めたくなるのか

 バイオニック・ジェミーの話題につづき、今日はジャニス・イアン。復活の日という映画が1980年ころあって、わたしはやっと自分の小遣いで映画を見はじめたころだったので、はりきって出かけたのを覚えている。

 原作として小松左京の描いた長編小説のストーリーは、こんな感じである。南極にいた各国の観測隊員たち約1万人のコミュニティを残し、世界の人々がウィルスで死滅してしまった。このまま南極にいれば彼らは生きながらえるが(ただし出産可能な年齢の女性はごく少数のため、人間が復活できるかどうかは微妙なところ)、課題は山積みである。
 そんなあるとき、無人となった世界において、核のスイッチが何かのはずみに押されたら、そして1発でもそれが南極に向いていたら、全員が死ぬのではないかとの説が出てくる。そして主人公の吉住(映画で演じたのは草刈正雄)が、死の世界となったアメリカに上陸してそれを確認する任務につく…。

 映画版のラストはとても残酷だ。どちらの場合でも吉住は生きているので主人公の生存のみ考えればあまり差はないかと思う人もいるかもしれないが、原作の最後は、ほんとうにやりきれない。

 映画では南極のコミュニティは850人程度、そしてオリビア・ハッセーなど若い女性も登場する。そして何より、最後が、残酷ではなくすっきり感動になってしまう…。

 ちなみに主人公の吉住に同行してアメリカに渡り核のスイッチを探す相棒は、若いころの米俳優ボー・スヴェンソンが演じた。たしかジョージ・ケネディとかチャック・コナーズとか当時はかなり有名だった役者も多く出演していたはずだ。

 さて、脱線ばかりしているが、ジャニス・イアン。
 この映画に関連して、日本ではジャニス・イアンが歌った「ユー・アー・ラブ」(You Are Love – Toujours gai mon cher)がとてもヒットした。日本版のサントラには、そのYou Are Love と、映画本編では使われなかったがYou Are Loveがシングル盤で販売された際にB面に使われていたAll to Youという曲がはいっていた。英語圏用に短く編集されて映画「Virus」となった「復活の日」では、英語圏でサントラが仮に発売されたにせよジャニス・イアンは出ていないし、もちろんAll to Youもはいっていない。

 All to Youが、聞きたくなった。

 わたしは何ヶ月か前に「頭の中に響いてくるこの曲はなんだったけ、歌詞まで覚えているが、ネットでその歌詞を打っても引っかからない」と、頭をかかえたことがあった。その後、そうか英語で検索しても英語圏の人間はこの曲を知らないからネットに書かず、日本人はユー・アー・ラブの話題しか出さないので、日本語でも英語でも検索できないのだと気づいた。タイトルはAll to Youに違いないと、やっとわかるまでに時間がかかった。

 その後もときどき検索していたのだが、やはり日本向けに編集されたジャニス・イアンのアルバムか、あるいは映画「復活の日」の復刻CDを買うしかないらしいと、出費を覚悟して商品を検索。

 ジャニス・イアンの「ナイト・レイン」というアルバム(日本で曲が追加編集されたものであり、輸入盤ではだめ)ならば、All to Youが含まれているとわかった。You Are Loveはネット上にも動画や訳詩が複数あるが、All to Youはhmv.co.jpのサイトで数十秒が試聴できたのみ。

 楽天で、ポチッと、お買い上げ。
 無事な到着を祈るのみ。

 つくづく、なぜこう「子供時代に馴染んだものを追い求めてしまう」のか、不思議に思う。一度それがはじまると、気になって仕方がない。

70年代のテレビドラマ「バイオニック・ジェミー」の音楽

 iTunesで The Bionic Woman と検索をかけたら当時のテレビ番組で使われていたテーマがあった。Apple Musicのサービスにはいっているので、気軽にダウンロード → The Bionic Woman – Theme from the Classic Television Series composed by Jerry Fielding – Single
 開始後30秒くらいから、とくに聞き覚えのあるパートにはいる。そこを頭出ししてiPhoneのタイマーにセットしてみた。

 ちなみに当時のテレビ番組そのものも1話につき1.99ドル払えばiTunesで見られるようだが、これは日本在住でも見られるのだろうか。見てみたい気もする → Bionic Woman (Classic), Season 1
 たしかシリーズは3年で終了したと思う。わたしの大好きな番組だった。

 そういえば日本語で吹き替えを担当していた田島令子さんの歌う「ジェミーの愛」という曲があったのだが、曲をYouTubeに載せている人がいたほか、mixiでもこの話題で検索に引っかかったので、何気なく読んでいたところ…40年の時を経て、驚愕の事実が!!

 それは、歌の重要な場所で…
「わたしのからだを〜、かけぬーけるぅ〜、ばいおーにっくの〜、あぁしぃが〜♪」と聞こえる歌詞があったことだ。それをわたしはずっと「だっさい歌詞だなぁ」と思っていた。足が体を駆け抜けるってなんだよ、と。mixiにも同じように感じている人がいらっしゃったようだ。

 だが、違った。これ、実は「あぁしぃ〜が〜(足が)」ではなくて「あらぁしぃ〜がぁ(嵐が)」だったそうだ。もちろんだからといって歌詞が高級になったかといえばそうでもないのだが、少なくとも言葉としては、おかしさは半減した。そうだったのか。。。まったく知らなかった。

 それにしても、当時はなんとなくスルーしていたが、いまにして思えば、田島令子氏のこの歌(確認されたいかたはYouTubeへ)は、ほんとうにこれでレコードとして発売できたのかと思うほどの出来である。田島令子氏は声優としても役者としても素晴らしかったが、この歌は、破壊力がある。はっきり書くなら、下手すぎる。う〜む、書いてしまった。

 ジェミーとして主演したリンゼイ・ワグナーさんは、先日テレビドラマNCISでメンバーのエレノア・ビショップの母としてゲスト出演されていた。ご高齢になっても美しかった。

そのものズバリの「ハブ入りハブ酒」、「イカスミサイダー」

 地方の新聞社がすすめる地元の名物を集めた通販サイト「47club」が毎年おこなっている「こんなのあるんだ! 大賞」を見ていたら、ページの最下部にあった九州・沖縄ブロックに目がとまった。

 > ハブ入りハブ酒
 > イカスミサイダー

 はて、なんの例えだろうと思って商品名をクリックしたら、例えではなかった!!
 ハブがはいっているから、ハブ入りハブ酒。いまどきの若い世代がこれを見たら卒倒するのではないだろうか。通販の途中で瓶が割れて中身が〜なんてことを想像して恐怖するのではないだろうか…わたしは、自分は飲まないが、見る分には平気である。田舎の年寄りには自宅の押し入れにこんな瓶を入れている人もいた。だから目にすることに免疫はある。ただし酒を飲み終わったあとにその物体をどうするのか、そこまでは考えたくない(苦笑)、想像はつくけれども。
 
 そしてイカスミサイダー。こちらもそのまんまである。ただ、匂いがしないようにフリーズドライ加工したイカスミを使用しているということで、そう考えると、味もしないのだろうか。1本くらいなら飲んでみてもいいが、都内で1本だけ買えることがあったら、試してみよう。

中野の羊祭り、青山公園のドイツフェスティバル

 昨日は、午後に中野の羊祭り2017と、芝生をはさんで併設のチャランケ祭(沖縄とアイヌのお祭り)に、散歩がてらに。そういえば中野の界隈ではチャンプルーフェスタというのが開かれていることがあるのだが、何か中野と沖縄でご縁があるのだろうか。

 到着してみると、あたりに漂う山羊臭。山羊と羊の匂いでさほどの区別がつけられるほど詳しくはないのだが、わたしが羊祭りの会場は(公園内の)どこだろうときょろきょろしていたとき、連れが「羊はこっちだっ」と走って行った。だがその先には「山羊汁」と書いてあって、そこがチャランケ祭だったので、おそらくあたりに充満していたのは、どちらかといえば山羊の匂いだったのだろう。

 土曜の午後遅めの時間で、開催が夕方5時までであるところを3時過ぎに散歩に出たせいか、いろいろな屋台が売り切れ、そして残っている店には長蛇の列。食べることはあきらめて、公園内を一周して帰った。
 それにしても、いちばん混んでいた時間帯は知らないが、少し空いてきた段階で見て思ったのは、中野区はがんばってよい公園を作ったな、ということだ。ここは完成までの何年もずっと工事の幕で覆われ、地元民は「この一帯は、いったいなんなんだ」と思っていたのだが、大学を複数誘致すると同時に公園や、道をはさんでその脇には、イベント会場に使える広場もできた。数日前に通ったときには芝生は養生中だからはいらないでと紐がかかっていたが、この日のためだったのだなと、寝転んだり座ったりしながら芝生に休む人々を見て、感じた。のどかだった。

 そして今日の午後は、都立青山公園で開催のドイツフェスティバル最終日だったので、こちらも時間的に何も買えないとは思ったが、出かけてみた。

 最終日の午後3時過ぎとはいえ、ビールに関しては「かなり」供給に余裕があったようだ。それに、なんというのだろう、大勢の人がいるというのにきちんとテーブルを利用して座っていて、みなさん行儀がよろしい。あまり乱雑な印象を受けなかった。
 企画の内容が内容だけに、かなり西洋系の外国人が多かったように思う。インターナショナルな雰囲気があるのにそれでいて乱雑さがないところは、日本やドイツの国民性にも関係があるのか。

 パンや菓子などの食品はもう売り切れていたようなので、少し売り場を見たあと、簡単に1周しただけで場をあとにした。

 それにしても、要人警護やテロ警戒はわかるのだが、この公園の周囲や六本木、そして距離的には無関係なほど離れた駅構内にも、制服を着た警官が山ほど。制服や車両を見せることで抑止力になるのかどうかはわからないが、なんだか物騒な世の中になったものだと、つくづく感じた。

 写真の上3枚はドイツフェスティバル、下は六本木ヒルズと毛利庭園、そして六本木で信号待ちをしていたマリオカートのみなさん(おそらく外国人観光客)。

 さて、二日連続で人の多い場所に出かけたので、明日はしみじみと近所で買い物するとしよう。

不思議な人を見た

 不思議な人を見ると片っ端から認知症を疑ってはいけないのだろうが、ついそれを連想してしまう。

 ある量販店(差し障りがあるといけないので念のためにぼかして書くがデパートとスーパーの中間くらいの店)で、客は少ないのに支払いが長引いている場所があった。なんとなく見ていた。

 すっきりした身支度の高齢女性(60過ぎくらいだろうか?)が、何もこんな量販店で大量買いしなくてもいいだろうにと思うような種類と量を買っていた。いでたちから考えてもデパートに行きそうな人に見えた。それらを店員が手分けしてたたんで袋に入れていたが、ちょっとした外出用というよりは、それなりにしゃれた場所に出る服(ややフォーマルな薄着系)を何着も。
 女性の荷物は、まるでこれから小旅行に出るか、あるいは東京に到着した直後のような小さめスーツケース(キャリーバッグ)である。買っている服は、わたしが目にしたのが店員がたたみはじめて何着目であったにせよ、その段階で4着はあったように思う。

 ところが、慌ただしく袋詰めをする店員と話をしていたその女性が「それって、サイズいくつでしたっけ?」と言いだした。店員が軽く驚いて「11号ですが、よろしいですか」と答える。その女性はもう少し小柄に思えたが、本人用ではないのだろうか。少し微妙な間があいてから、女性は「いいです」と答えた。
 さらに、また何か声をかけた。わたしは思わずまじまじと見てしまったが、どうも最後の服をたたもうとした店員に「着て帰る」と言ったらしく、店員はあわてて値札やブランドのタグをはさみで外して、持ち帰りの商品がはいった袋に入れ、上着を女性に渡した。

 女性は、それを受けとって袖を通したのだが…。いままで着ていた上着を手にとったまま、新しく着たその服が、内側の服とまったく合っていない。いままでの上着は上品な色柄だったが、その内側はスポーツでもするかのようなジャージっぽい服に似ていて、それなのに女性はパーティなどに着てもおかしくなさそうな薄い布地の黒(袖なし、引っかけるだけ)を、上から着てしまったのである。かなりアンバランス。

 そのまま女性は去っていったが、わたしはなんだかとても不思議なものを見た気がした。いったいどういうことだったのだろうか。

 何でも認知症を疑ってはいけないと思うが、身近に7年も認知症患者がいると、どうしても発想がそちらに向かってしまう。義母も、義父が突然死してわたしたちが駆けつけたとき、不思議な服を着ていた。東京に連れてきてからも、しばらくはおかしかった。そのうち、こちらが服をすべて選んでそれ以外を選びづらくしたため(衣装ケースなどを見えにくい場所においた)、なんとか見た目は普通になった。

 どこの誰とも知らない女性ではあったが、少し気になった。
 うちの義父母のように、着もしない服を、袋から出すこともなく大量に買って家に放置し、あげくにゴミ屋敷にしてしまった人たちもいる。あの女性が、誰かの代理で服を買っていたのだと、できればそう願いたい。