twitterというものは、文字の予約投稿ができないのか

 妙な時間にアイディアだけ浮かぶことがある。ブログやFacebookならあとから見たときの表示もしくは実際の投稿時間を揃えることができるが、Twitterは文字だけの普通の投稿では予約ができないらしい。

 検索してみたところ、投稿に画像を付ける場合ならば、ビジネス会員用のメニューが利用できるようだ。文字だけの投稿予約は自分で何か第三者のウェブサービスを噛ませる等の工夫をしないと、公式にはサポートしていないらしい。

 Facebookでバウムクーヘン情報を流していたころは、真夜中や明け方に、人並みの活動時間を装って投稿できていたのだが、これは面倒そうだ。

にべもないを、漢字で書くと

 無愛想な対応を受けた場合「にべもない」と言うが、あの「にべ」は、漢字で書くと「鮸」で、鱗のあるイシモチなどの魚を指すそうだ。その鮸の鱗で作る膠(にかわ)を指して、それがないということは、つまり「粘り気がない」、別の言葉に代えれば「反応がない」(暖簾に腕押し)の意味として使うようになったらしい。(参考: Weblio 鮸膠も無い

 そういえば「木で鼻をくくる」も同じ意味だったと思うが、そちらの「くくる」は、もともとは「こする」意味の「こくる」だったそうで、なるほどそれなら意味が通る。くくるとは何事かと、ずっと気になっていた。

 さて、なぜこんなことを書いているかというと、もう10年以上も会員をしているのだが、ある企業提供のインターネットサービスでのことだ。ベータ版と書いてはあっても一般公開されていたツールに、設定ミスもしくは誤動作があることに気づいた。それをわざわざメールで報告したというのに、その返事が定型文「ご意見はつねに歓迎し、ありがたく拝見しております、どうのこうの〜」である。

 わたしは自分の書いた内容が間違っていたとは思えないし、実際のところ軽い問題が生じて、その原因を特定するのに時間がかかったのだから、メールくらいしてもバチは当たらないはずだ。仮にそれが先方の、そのメール定型文を送ってきた人のせいでないにせよ、わたしの側に問題はなく、先方の「誰か」が直せるはずの不具合である。それなのに定型文とは。もっと真摯に反応できないのか。

 怒っても仕方ないのだが、以前はもう少しまともな返事をもらっていた記憶があるだけに、残念でならない。

かつてパソコンは、共有するものだった

 1軒の家でパソコンを共有、オフィスで共有などはあたりまえの時代があった。いまは仮にそうであってもログインとログアウトをすることで、共有する誰かが見ていたウェブの内容やその人に届いたメールなどを気にすることなく、個人で楽しめるようになっているかとは思うが、オフィスはどうなのだろうか。

 たとえば業務で大きなディスプレイのコンピュータを使っているとして、休憩時間にこっそり下着や靴下、あるいは介護用おむつの値段をチェックしたとしよう。休憩が終わり、周囲には上司や同僚がいる中で「○○さん、お客さんのサイトを見にいってみて、今日からリニューアルされたはずだから」という話になる。みんなが何気なく集まってきて、自分が代表でお客のサイトをクリックする。

 お客が広告をメニューの余白に貼っていた場合、そこには下着や靴下、介護用おむつの画像が大きく表示されてしまうことに、なるはずだ。これはかなり恐怖ではないだろうか。

 あるいは最近の職場では、業務に関係ない通販サイトを少しでも見たり検索をかけたら罰則があるとか、かならず手持ちのスマホから見にいかねばならないとか、決まりが徹底していて、みなさんモラルが高いのかもしれない。それならこの恐怖は取り越し苦労として、笑い飛ばしてしまえばよいのだが。

 この1週間ほど、どこのサイトを見にいっても余白という余白に現れる広告の写真が「会社勤めでなくてよかった」と実感させられるものばかりで、途方に暮れている。ほかのぜんぜん関係ない何かをたくさん通販サイトで見るしかないのだろうか(苦笑)。

マインドフルネスの(カタカナでの)アクセント

 何週間か前、地上波の朝の番組だったと思うが、テレビの方角から「瞑想が、いまとても話題なんです。このマインドフルネスと呼ばれる…」という声が聞こえてきて、驚いてふり返った。

 マインドフルネスの、日本語での発音は、どうもマインドとフルネスに分かれるようである。無理に再現するなら「(明日の)バイトはフルです」という音に近い。だが英語では、マインドフルにネスがつくので、「(あんた)どぅしてくれんのよ」のイントネーションのはず。

 テレビに出ているその人がたまたまなのかと思ったが、お名前紹介のテロップでは、瞑想を専門にされている方のようだった。ひとりだけ発音が違うわけではないだろうから、おそらく業界すべてが「バイトはフルです」なのだろうと想像。

 これは、う〜ん、言いやすいかどうかよりも「フルネス」という勘違いからはいってしまったイントネーションだと思うと、残念である。

「丁寧」と「親切」の違い

 昨日だっただろうか、東京の人間は道を尋ねても教え方がそっけないと書いている人をどこかで見た。外国に何年か暮らしてから日本にもどり、道を聞かれたので丁寧に答えていると、一緒にいた東京在住の知人は、その人に一緒に教えるどころか、興味がなさそうにしていたという。

 そのときの話にも、最近何度か耳にした話にも通じることだが、「日本人は丁寧だが親切ではない」という意見があるようだ。たしかにそうかもしれないと、道を尋ねる例などで考えたかぎりでは、うなずける気がする。

 だいたいにおいて、東京では、最低限の質問をしたらあとは自力でなんとかしなさいという雰囲気がそこかしこにある。尋ねる側がその雰囲気を感じとり、先に距離を置いてしまうこともあるかもしれない。
 簡単な説明ではわかっていなさそうな人に説明をつづけようとすると「もういいです、大丈夫です」と去られたこともある。また、バスに乗ろうとしていた老女が運転士に「このバスは○○の近くを通りますか」と尋ねても運転士の側に自信がなく、わたしが「通ります」と声をかけたことがあったが、その老女が同じバス停で降りたので、ついでだからと「○○はあっちです」と声をかけたところ、異様にびっくりされてしまった。もうバスに乗った段階でわたしの役割は終わっていたらしく、声をかけたときその相手の顔には「あら、誰だったかしら」の表情が、浮かんでいたようにすら思えた。

 東京暮らしも長くなると、出過ぎたまねをしない、相手に迷惑かもしれないと、あれこれ考えて最低限のやりとりにとどめる傾向があるのだろうと思う。ほかの人たちから不親切に思われても、本人たちにとっては、そのあたりに大元の理由があってのことではないだろうか。
 30代くらいまでは、こんな東京の光景にわたしもさして疑問を感じていなかったが、年齢を重ねるにつれ、相手がきちんとどこかにたどり着けることのほうが重要であり、それ以外を気にする必要はないのではと、考えるようになってきた。だからといって急に性格が変わるわけではなく、「道がわかっていなさそうなそこの人、声かけてこいやーっ」と念じたり、思いがけず話しかけられて答えたあとで「いまの教え方でほんとうにわかったのだろうか」と考えてしまったり、なかなか前進はしていないのだが。

 20年以上前の、ロンドンの道端でのことだ。簡易なスタンドに新聞を並べて売っている男性がいた。観光客がたくさん来て同じようなことを尋ねるのだろうなと思い、遠慮がちに(英語で)「あの、大英博物館て…あ、方角だけでいいんですが、あっちことか、こちっとか…」と言いかけたところ、みなまで言うなと言わんばかりに、とてつもなく丁寧に教えてくださった。ああいう親切はありがたいものだ。

 今後の東京は、観光客が人に尋ねなくても快適に歩けるように、街頭での各国語の表示や、外国人旅行者向けのスマホアプリを増やしていくのだろう。だが「人に聞かなくても済むように」という発想そのものが、もしかしたらすでに東京のものなのかもしれない。

 2年後にオリンピックがあるというが(←実感がわかないが、ほんとうにあるのだろうか ^^;)、東京での「おもてなし」は、そう簡単には、いかないかもしれない。

kindleアプリ: 気づくのに1か月

先月わたしはこのブログで ( → 参照: 2018.07.06 Kindle Cloud Reader ) 、Macで使っているkindleアプリには米国Amazonで購入した書籍を入れ、それ以外のモバイル端末等で使っているkindleアプリには日本のAmazonで買ったものを入れている、と書いた。内容を統合するにはリスクがあるのでこの不便さに耐えている…日本語の電子書籍をできれば大きめのパソコン画面で見たいのだが…(大意)といった内容だ。

 だが、1か月経って気づいた。

 ブラウザで見られるKindle Cloud Readerは、日本語には対応していない。それがすべての問題だった。逆に言えばそれだけが問題だった。パソコンの大きな画面で日本語のKindle本を読むにはソフトで読みたいのに、そこには米国Amazonで購入した書籍がはいっている…ずっとそれでつまづいていたが…

 よく考えたら、米国Amazonで買った書籍は英語を中心としたアルファベットばかりなので、Mac用の専用ソフトは不要なのだ。そこでこれまでMacに入れてきた(ソフトとしての)Kindleは日本のAmazonで購入した本に連結させ、米国AmazonのKindle書籍はCloudで見ればいいのだということに、やっと今日気づいたというオチ。なんたること。

 https://read.amazon.co.jp/ – 日本AmazonのKindle Reader
 https://read.amazon.com/ – 米国AmazonのKindle Reader

 これで、日本のAmazonからもっと遠慮なく日本語電子書籍が買える(笑)。

暑さがもどり、夏バテ

 毎日が35℃以上の予報だと、気を引き締めているらしい。7月は毎日大騒ぎしていたが、この数日は30℃前後の日がつづいて、油断していたようだ。そして今日はひさしぶりに暑いと感じた、その途端に体に影響が。

 朝が少し早かったので、午前10時くらいまでには、普段は午前いっぱいかかるような用事が終わっていた。そこで弱くエアコンをかけた部屋で、少しだけのつもりで目を閉じると…おそらく30分か1時間弱だったと思うが、全身に恐ろしいほどの寝汗。これは室温のせいというよりは体調が悪いのだろうと、急いで着替えて、水分をとり、なんとか落ち着こうとするが、起きていられない。それは大昔に経験した低血糖状態にも近い気がして、手近なチョコレートを食べてみもしたが、すぐには効果が出ず。
 起きていようとしても、10分もすると横になりたくてたまらなくなる。体も節々が痛い。

 体調が悪いときにありがちだが、目を閉じるとわずかな時間でもひどい夢を見る。それを見たくないためにさらに目をこじ開けるのだが、せいぜい15分しか持たない。このままでは1日寝ていなければならないだろうかとも考えた。

 午後になって、家族が温かい食事を用意してくれた。それを食べたところ、だいぶ落ち着いたようだ。夏だろうと高気温だろうと、やはり疲れた体には、温かい食べ物はよいと思う。さほどの量を食べないうちから、体が内側からしっかりしてきた。

 夕方には近所のスーパーに、溜まりに溜まったペットボトルを持っていった。粉砕機に入れると1本につきわずかずつポイントがもらえるので、たまに持参している。

 残暑にも、じゅうぶん気をつけねばならない。

ひとつ余分に買っておく癖

 先月だが、USBメモリを3個買った。使っているのは1個で、家族が使うだろうからと1個渡し、残りは予備。この予備を使うころにはもっと安くて大容量が出ているのだろうかと、ちらっと考える。郵便で送料が安く、1個でも3個でも料金に差はなかった。

 6月に群馬県の「かいこチョコ」を通販で買った。虫がとても好きなお子さんと会うことがわかっていたので、それ以前に到着するように手配していた。その際、どうせ送料がとられるのだからと、かいこチョコ2箱(ひとつは自分の味見用)、富岡製糸場をかたどったチョコ、それからかいこをかたどったストラップも、自分の性格からしてそれを使うとは思えなかったのだが「1個買っておくよりも2個」と、当然のごとく購入。すると先方が、差し上げた1個をその日のうちに落として悲しんでいると連絡があり(苦笑)、けっきょく2個目も差し上げることになった。

 普段から、食品や日用品では、予備に買っておいたものを開封するかしないかのタイミングで次のを買っておく。実質的に2個が家にあるのと同じである。

 東京の一般的な住宅街に住んでいるので、普通の商品ならばコンビニもスーパーも徒歩圏内。それでもこの騒ぎだ。もし地方に住むことになったら(おそらくそれはないと思うが)、いったいどうなるのだろうか。

「おめでとうございます」の誘導スパム広告

 この半月くらい、とくによく感じているのだが、新聞社のサイトをブラウザで開いたままにして何か考え事をしていると、Firefoxが勝手に動き出して「おめでとうございます」のページに連れていかれてしまう。それが出るとすぐさま履歴とCookieを1時間分消してしまうので詳しくはわからないが、何かのソフトか、サービスに当たったといいたいのだろう。むろん何もクリックはしない。

 記憶は曖昧だが、47newsや毎日新聞のページを開いていると、よくその現象が起こる。つまりそういうサイトに出る広告の中で、わたしのような人間が来ると表示されるように組み込まれているものがあるのだろう。だが気になるのは、広告があるような画面の隅を、無意識にわたしがクリックしているということなのか。それとも別の要因か。

 Firefox以外でもそれは起こるのかどうかについても、ニュースサイトを見ることが多いのはFirefoxなので、詳しくは不明だ。そんなことのために複数のブラウザで実験するのも面倒である。

 配信している広告会社のほうで、この怪しいものを排除してくれるのがいちばんよいのだが、チェックは難しいのだろうか。

暑さによる疲れだろうと思うが

 このところ、いろいろあって、眠れないと感じる日が多い。頻繁に何かについて考え、悩んでいる。
 たとえば夜遅くになって「あとは○○をやってしまえば、それで寝られる」と思った途端に、その○○ができなくなる。あきらかに心理的な問題だ。やらなくてもいいのに、できないから寝られないと思う。そもそもなぜ自分はこういう性格なのかと、余計なことを考えはじめる。

 そこで「これは心がポキッと折れてしまう寸前なのではないか、もしや世の中に多いという鬱の手前では」と、毎回同じことを考える。たいていは考えるだけなのだが、何回かに一度はネットで「鬱の診断」と入力し、よくある簡単な自己診断ページにたどり着く。実はこれは認知症になったらどうしようと思ったときと同じ行動なのだが、どちらの場合にもその何回かに一度は、実際に自分の状況を入力してみる。

 すると今度は、設問が気に入らない。
 鬱だろうと認知症だろうと、設問があからさますぎて「このABCDEから選ばせるなんて、A以外はぜんぶひどい回答ではないか、Aと答えるしかない」と思いながら答えて、やはり鬱でも認知症でも心配ないと表示される。すると毎回のように「この設問は人に希望を持たせようとしてこんな構成になっているのではないか、もっと細かい設問にすれば正確に結果が出るだろうに、やはりウェブでチェックしてはだめだ、自分は大丈夫でなくなる前に、きちんと自分で気づくことができるのか」と、何かに向かって腹を立てる。こう書いていると自分でも匙を投げたくなるが、お読みの方もまた、わたしに呆れるに違いない。

 昨日はこんな状態が長引き、夜もなかなか眠れなかったことで家族に迷惑をかけてしまった。それだけは避けたいと思っているのだが、するとまた自分を責めてしまいそうになり、悪循環。

 すべて、暑さのせいだ。
 古典文学に出てきそうな言葉で、今日のところは終わりにしよう。