ネット上では、被災地の農産物など食品を「食べて応援なんてとんでもない」と考えている人が少なからずいるらしいことを、認識している。だが日常的に東京でスーパーほかを利用する人間として、ぶっちゃけ「気にしない」人も、多いように感じている。
わたし個人にしても、震災直後の数週間であれば何か不安をいだいた日もあったのかもしれないが、それほど強いものではなかったように思う。そして現在は、こういう記事が堂々と出ているのを見て、むしろ「自分だけではないんだ」と、ほっとしている。
福島民報 2015.01.24 → 63% 「原発事故気にせず」 首都圏消費者の県産食品購入調査
むしろ気になるのは、以前なら東京の普通のスーパーでは扱わなかったような、遠隔地の牛乳。山陰、九州などからのブランドが棚に並んでいることも少なくない。震災直後は、それまで首都圏で大きな存在であった福島の生乳が(生産も流通も)激減した関係で牛乳の販売量が大幅に低下。都内の大手スーパーはおそらく差額の自腹を切って、遠隔地の牛乳を関東の他メーカーと大差ない価格で販売していたこともあった。震災前には贅沢品であった遠隔地の牛乳だが、直後の数週間は、手頃価格で買えた。その後、神奈川や山梨など近県からの牛乳が多く流通するようになったが、遠隔地の牛乳も、ほそぼそと(値段はそれなりに上がったが)、現在まで残っている。
おそらく、東北もしくは東日本全般の食材に拒否反応を示している人が、いらっしゃるのだろうと思う。
そういった方々に気にするなと申し上げるつもりは、まったくない。わたしとて、自分から「食べて応援」とは思っていなくて「売られているからたまたま買う」程度だが、食べて応援という人も、いるはずと思う。
ただ、自分のようにさほど気にしていない人間が社会の問題に無神経であると決めつけられるとしたら、不本意である。考えていないわけではなくて、あれこれ見聞きした上の判断として、あれこれ細かく考えすぎなくていいと思う人間もいる、ということだ。
毎日のように、数年も前のブログやニュース記事であることにも気づかず「○○(食品名)から○○ベクレルを検出」といったものを見つけては、SNS上でリンクしたり「いいね!」を押している方に出くわすが、うっかり者のわたしでも、日付くらいは見てから判断するように努力している。主義主張にかかわらず、その程度の配慮は最低限のこととして、すべての人がわきまえているべきことのように、考えている。