昨今の食品業界とはまた違う話だが、サッカーくじBIGのCMが、イスラム国の人質問題を連想させるとのことで、自主判断によりテレビ放送されなくなった件。
これについてざっとネット上の意見を見た限りでは(←サンプルはほんの20前後)
「放送をやめることはテロに屈すること、ナンセンス」
「放送をやめるのは良識に照らし合わせて打倒(妥当と書こうとして誤変換)」
…といった意見があった。残念なことに、人質事件の報道のほうがナンセンスだとか、人質事件なんかどうにでもなれといった暴言も少し見られたようだ(暴言を吐いている人たち、恥を知ろう)。
さて、ここでどうすべきかという点だが
「黙って放送をやめて、人質事件に配慮しましたなどは、いっさい言わない」
「自主的に判断して放送をやめたんですよ、クレームがあったわけではないですよと、事前または直後に言う」
…どちらがいいのだろう。やはり、いらぬ波風を立てないためには、後者なのだろうか。もし何も言わずにやめたら「圧力がかかった説」などが、出てしまうのだろうか。
また、もうひとつの問題として「誰もそんなこと連想するとは思えない、気にしすぎて気持ちが悪い」「いや、想像力を駆使してみれば、よい判断」という意見が、どこで折り合いをつけるかだ。過度に遠慮や干渉がある社会は嫌だと思う意見もあるだろう。だが決め手となるのはつねに世論で、態度を決める立場にある提供元というのは、実は世論の顔色をうかがいながら動いているに過ぎない。暗いニュースが多い時期には余裕や潤いに関するものが制限されるのも、その現れだろう。
たとえば大災害があって、現地の人、周囲の人たちが、いつも同じようなニュースより歌が聴きたいと思っても、そんなとき歌を放送してくれるテレビ局もラジオ局もあまりない。音楽家もある程度は自粛させられてしまうのだろうから、慰問音楽会もあまりないだろう。そういうのは、あとから思うとたしかにおかしいと思うのだが…。そのときは悲しみに浸って祈ることしか考えつかなくなる人も多いのでは。
今回の人質事件は、ほんとうに痛ましいことだ。一日も早い無事の帰国を願っているが、もし悲しみの中に祈る人たちを見かけても、自分たちの周囲が暗くなるとか、暴言を吐いている人たちの一部のように自業自得で人質になったとか、そんな風には思わないでいただきたい。怒りをむけるべき相手は、直接にまともな話をしようともせず、隣国への根回しばかりしてらちがあかないまま時間を無駄にしている日本政府であるのだから。
人質の無事を祈ろう。何度でも祈ろう。