無農薬の野菜がいいが高いのはいやだ、手塩にかけて育てる手間はたいへんといわれても。近所で除草剤が使われたら体に悪そうだが、草むしりを交替でやろうと言われたらどう断ろうか。国産の肉は好きだが生き物の牛や豚と、パックにはいった食肉については…えぇ、殺せませんよ、かわいそうですね。
…世の中、そういった「自分ひとりではできないこと」を「ほかの誰かが」やってくれるような仕組みになっている。それを動かしているのは実際問題として賃金かもしれないし、あるいは何らかの「やる気」かもしれないし、さらには、生活苦のあまりに選択肢がなく、人が面倒がる仕事をたとえ低賃金であっても、引き受けざるを得ないのかもしれない。事情はさまざまだ。
誰も目を向けない「危険地帯における普通の生活」を取材してきたジャーナリスト、後藤健二さんがイスラム国により命を奪われた。
危ないところに行くからだ、自分のせいだという人が、残念ながらいらっしゃるようだ。だが誰かが出かける必要がある。誰も出かけなくていいとまで思っている人は、まさかいらっしゃらないことと思う。
危険地帯における人々の普通の生活を取材する人が、誰の敵であったというのか。10月末ころから消息を絶っていた後藤さんだが、つい先日の安倍首相の記者会見で「2億ドル程度の支援」という言葉が出たことを好機ととらえたイスラム国に、その命を利用された。いったい誰の敵だったのだろう。
とても悔しいし、とても悲しいことだ。だがこの件を、戦争への道に利用されてはいけない。本気を出して交渉を試みたようにも感じられない日本の政府が、後藤さんの犠牲を利用して戦争への道筋をつけようとするのであれば、止めなければいけない。