スカパーでは映画関連のチャンネルに多く登録している。今日、適当にチャンネルをザッピングしていたら、思いっきり暗そうな画面ばかりで「いかにも絵に描いたようなロシアっぽさ」の映画が、終わるところだった。数分だけ見たら終わった。名前を調べたら「ドクトル・ジバゴ」(1965年)だった。
英語の映画で、役者さんもロシア人を使っていたわけではなく普通にヨーロッパ人(出演者一覧にはアレック・ギネス、オマー・シャリフなどの名前も)だったが、人が思うであろう「これぞロシア」のややステレオタイプな強引さと、いかにもな画面の暗さに惹かれて、ぐいぐい見てしまった。あとになって、あらすじを知った。なるほど、そういう話だったのか。見たことがなかった。
1963年らしいが、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「シェルブールの雨傘」も、名前だけしか知らない。何度かテレビ放映時などに「今回こそ見るか」と思ったこともあったが、歌だけの台詞構成(しかも主役が自分で歌っているようには見えない)が、苦痛で苦痛で、すぐやめた。
ロバート・デニーロ、クリストファー・ウォーケン主演の「ディア・ハンター」(1978年)も、まるで内容を知らないまま30年近く放置してしまい、レンタル店で借りて見たのは、おそらく数年前だったと思う。ディアが dear(親愛) なのか deer(鹿) なのかすら、気にしていなかった。だがこれ、心に残ったなぁ。
本筋からまったく離れたところしか記憶に残らなかったのが「ブリキの太鼓」(1979年)。ストーリーは最近になってテレビで見たときおさらいしたのだが、以前に見たときは「母親が気がふれてしまうシーンが、すごすぎる」と、そこだけ覚えていた。それ以外のストーリーはすべて吹っ飛んでいた。
なにせ、魚が嫌いだったはずなのに、生の大きな魚(死にたてホヤホヤでこれから食材として捌かれるような状態、カゴに山盛り)を、次々に口に「頭から」口に入れてはむさぼり食うのだ。しかもそのシーンにカットはほとんどはいっていない。おそらく何匹も、つぎつぎに口に押し込んで嚥下した。あれができる女優は、すばらしいと思った。
名前だけ知っている映画、間違えて記憶している映画は、まだまだあると思う。