今日、Facebookで、最近の新幹線内焼身自殺に関して、実行犯の男性は孤独だったというどなたかの記事が、多くのシェアと「いいね!」を膨らませながら閲覧され、共有されていることに、少なからず驚いた。
そういう感想は、あってもいいかと思う。だが、ひとり「いいね!」を押したり、なかにはつられて「いいね!」やシェアをしているうち、途中からはほんとうに読んでいない人やら考えていない人も含まれるようになるのではと、勘ぐってしまう。話題が何となく増幅していく状態、なんとなく「あなたがいいねと思ったモノを、わたしも読んだよ」と、深く考えずに膨らませていく人々もいるであろう状態。それは、現在のネットやSNSにありがちなことではあるものの、ときとして人々の感覚を麻痺させるものだろうと思う。
一般の電車とは異なる新幹線の速度で走行中に、窓が開かない密室状態にて、進行方向の一号車まで出かけて自分に火を放った男性を、ちょっと考えれば、寛容な態度で受け止めることはできそうにない。無関係でお亡くなりになった人もいる。負傷もしくは精神的な意味も含めて、体調を崩された方は多いはずだ。
どう考えても、JRの機敏な反応とまじめな働きぶり、そして運のよさがあったからこそ、被害がこの規模で済んだはずで、もっと被害が出てもおかしくなかった。そこをぼやけさせたまま、実行犯の男性について思い描く人々が増えたら、話はおかしな方向へ向かってしまうはずだ。
ちなみに、日本人の高齢男性がこの事件を起こしたのでなかったら、話はどうだろうというのも、気になるところ。
若い男性だったり、高齢男性であっても見たからに外国人のようであったり、中年にさしかかった女性であったり、幼さの残る10代女性のグループだったり…?
わたしは、Facebookの「いいね!」を、納得がいく内容にしか押さない。読んだよという意味には使わない。読んだという意味だと断言する人もいらっしゃるようだが、わたしは少しでも、自分で責任がとれない結果になりかねない、大きな集団心理のうねりに呑みこまれることは、極力避けたいと思っている。