企業が運営もしくは複数の人が活躍しているウェブサイト以外で、10年以上もつづくサイトというのは、なかなかないかもしれない。さとなお氏などは別格だろうが、わたしなどはこの20年弱でいくつサイト(初期はホームページ)を作っては放置や自動的消去(プロバイダー変更などで)をくり返してきたか、わからないほどだ。
解約する予定のないプロバイダのスペースにはかなり古くから放置しているものもあるが、この10年くらいに関して言えば、ドメインを自分でふたつ持っている関係で、何かの事情で都合よく消えてくれるものはまず存在しない。要らないと強く感じるか、もしくは何かの事情で消そうと思ったら、自力で「えいっ」と覚悟して消すしかない。
さて、もう人がほとんど来ないが存在だけはしつづけているサイト(複数)について、どうしようかと考えることがある。以前にも何度か「そろそろ個人が運営するような小規模SNSも下火かな」と思ったことがあった。だが東日本大震災のときや、何かの事件があると、人が思い出してアクセスしてくれる場所であると気づき「別に無理して消すほどのことでもないのかな?」と思ったりもする。ただ、システムは古くなるし、手間はよけいにかかってくるのだ。似たサービスで継続するならその引っ越し先や、あるいは自分の連絡先を人に伝えておいて次のことを考えれば済む話ではある。人が何かあったときに自分を思い出してくれるかどうかは、それはそれで、実生活でも同じことだ。古い家に長く住んでいたからといって、それだけの理由で人が不意に会いに来てくれて「引っ越さずによかった」と思う人は、いるまい。そして何回引っ越そうと、自分を人が思い出してくれるかどうかは、自分がその人を覚えているかどうか、覚えつづけていたいかどうかという問題と重なる。
いつ誰がくるかどうかわからないシステムをいつまでもオープンにしておくのは、セキュリティや運営リスクとしてはどうなんだろうという気がしているのは事実——。自分の本心はどちらにあるのか、まだわからない。放置継続か、終了か。いま決断したほうがいいのか、決断すらもしなくていいのか。さあ困った——これって年寄りになってから自分のものを捨てられず親戚らが葬儀のあとに片づけ屋を頼むのと似た結果になるのだろうか。そこまで書いては考えすぎか(笑)。こういう「死んだとき」のことを考えておくのを「終活」というらしいが。。。
震災の少し前から本格始動した「バウムの書」については、現在はFacebook版の管理が楽で、そちらに重点を移してしまっているが、本来なら自分できっちり(自サイト上で)管理したいところ。だが以前と違ってウェブサイトの管理というものをおっくうがる傾向が出てきたようで、なかなかこまめに手を加えない。これではますます人が「ここ、さびれてるなぁ」と思って、来てくれなくなるというものだ。
一般論として書くが、やはり、無理をして長寿サイトにする必要はないと開き直りつつ、自分のできる範囲で継続していくことが、自分にも周囲にも楽なのかなと、思っている。ただし自分に力が残されていないと気づいた段階になって「さらなる放置」か「どうにか終了させる」かは、多いに悩むところ。