今日、偶然にこんな記事を見た → dot.asahi.com 2016.04.10更新 「埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ!」に埼玉県民が大喜びした理由
1982年の漫画で、埼玉県民が東京都民から虐げられている様子を描いた作品「翔んで埼玉」というものがあるのだそうだ。この記事のほか、ネット上で数ページずつ試し読みとして公開されているサイトも読んだが(「翔んで埼玉」|この漫画がすごい! Web)、埼玉から東京に行くには手形が必要とか、埼玉県民を見分けて「埼玉狩り」をするプロがいるとか、かなりはちゃめちゃである(笑)。
dot.asahi.com の記事によれば
> 埼玉県出身の生徒は医務室さえ使わせてもらえず、「そこらへんの草でも食わせておけ! 埼玉県民ならそれで治る!」と罵倒される始末。
そこらへんの草。。。これは、なかなか出てこない言葉だ。笑いが止まらない。ちなみにこの記事によると、埼玉県の人々にもそれ以外にも、復刊されたこの漫画は、たいへん好意的に読まれているらしい。
ところで、わたしはこれまで生きてきた年数の半分以上を東京都民として過ごしている。若いころから、(仮に)家賃や学費を半額にすると言われたにせよ、よほどのことがないかぎり、埼玉には住まなかったと思う。東京が好きである。いまこの瞬間に誰かが「埼玉に住んだらこれこれのいいことがありますよ」と言ってきたとしても、丁重にお断りすると思う。なぜならもうずーっと東京に住んでいるからである。
最初は自分で選んだ東京であり、その後をずっと暮らしているという理由ではあるが、以前にちょっと変わったテレビ番組を見て、埼玉について考えさせられた。
若いご夫婦と小さなお子さん中心のご家庭だった。その引っ越し先を探す模様を、テレビ番組スタッフが取材を兼ねて同行し、そのまま番組にしていた。そしてようやく、予算も交通の便も、勤務先も子供の教育にもちょうどよい場所が見つかった。だがその場所が、住所としては埼玉だった——
驚くべきことに、一家の奥さんが拒絶反応を示し、「ここ、埼玉なんですか」と、ふさぎこんだ。うつむいて考えて、それまでの笑顔がぜんぶ消えた。駅名では埼玉かどうかわからないし、実際にはかなり境界線だったため、住所が埼玉であっても、生活圏は東京のようなものなのだが、ついに奥さんは、さんざんふさぎこんだあげくに「やめる」と。
…わからないでもないが…(と書いては埼玉に失礼かもしれないが ^^;)よい物件だったため、ちょっともったいなかった。あの物件をやっと見つけたときのご夫婦の笑顔。そしてそれを奪ってしまう内なる声「ここ、埼玉なんですか」の響き。
自分ひとりのことならば東京がいいと思う人も多かろうと思うが、もし勤め先へのアクセスや子供さんの教育に問題がない状態で予算に収まるなら、人は(漠然と「わたし以外」は)埼玉だろうとどこだろうと引っ越すだろうと思っていたので、あの番組には衝撃を受けた。
そんなに嫌か、埼玉。そうだったのか。そしてわきあがる「たしかに気は乗らない」という思い。
埼玉を「ださっ」と思ってしまうこの気持ち、いったいどこから来るのだろう。自分のことながら、不思議でたまらない。