子供のころ、徒歩10分以内のどの方角を見ても、南以外は山だらけだった。南はかろうじて開けていて、市街地へつづく道があったが、それ以外は山。母親は山を無視した直線距離ならすぐ近くに実家があったが、道らしき道がほとんどない山をハイキングがてら越える覚悟でもないかぎり、自転車で山を迂回して30分以上、車でも10分以上かかる場所だった。
近所の親たちは、よく山にはいった。わたしも幼いころは同行していたが、実は親はわたしがいないほうが山菜がたくさん採れるからと、できれば家においていきたかったようだ。いまほど物騒ではなかった上に大昔の田舎のことだったから、もし10歳以下の子供がひとりで家にいても短時間なら問題はなかったと思う。それでも、わたしがついていくことはあった。
親はぜんまい、わらび、きのこなどを採った。近所のひとと数名で山にはいり、背負いカゴにたくさん入れて、帰ってきた。わたしもついていって、邪魔をしないように近くをうろちょろしては、一緒に帰ってきた。そして山菜の上のほうについている綿をとりながらの仕分けや、できることは手伝った。
なぜこんなことを書いているかというと、昨日の午後に高円寺の駅構内に野菜売りのおじさんが来ていて、山形で標高1700メートルのあたりから前の日に採ってきたと説明してもらったわらびを、買い求めたからだ。たしかに、わらびの季節には少し遅いかもしれないが、それだけ高い山なら、まだあるのだろう。わたしが子供のころに登っていた低い山では、もう少しわらびは早い時期だったように感じた。もしや記憶違いかもしれないが。
昨日は帰ってきてすぐ、熱湯と灰であくぬきの支度をした。そして今日の昼に天麩羅にして食べた。あくとりをして水煮になった状態で売られているわらびとはまったく違う、歯ごたえのしっかりしたわらびだった。おじさん、もう帰ってしまっただろうか。ふたつ買っておけばよかったな(笑)。そうすればもう半分はおひたしか、山菜おこわにできた。
最近は高円寺や阿佐ヶ谷の駅構内で、野菜の産直コーナーがよく設けられている。以前に干しきのこ(たしかヒラタケ)を見つけて、珍しくて買ったのもそこだった。
田舎の親はさすがにもう80代中盤なので山にははいっていないと思うが、たまにご近所の人が所有する田んぼや畦を見てまわり、まだ田植えの下準備で掘り返す前の地面から、どうにかして野蒜を集めては塩漬けにする。たまに送ってくることもある。ありがたいことだ。
最近、ときおり田舎を思い出す。帰りたいと思ったことはないし、実際に数年に一度くらいしか日帰りしないのだが、思い出す回数は増えている。