わたしのごく身近に、本人はまったく意識していないのだが、やや難しめの単語が口から出てくる人物がいる。たとえば「(身に)つける」のではなく「装着する」とか、「しょっちゅうでは困る」ときに「頻度というものがある」とか、そういう具合である。
それでは相手に通じないのではとわたしが指摘すると、そこで本人も笑うので、悪気があってそういう言葉を選んでいるわけではない。だがどうしても「漢字が口から出てきやすい」のだろう。ちなみに普通に日本で生まれ育った普通の日本人であり、年代もわたしと大差ない。
おもしろいので、Facebookで英語圏の知人らに「こういうひと(選ぶ単語が難しい)を指すような英単語があったら教えて」と尋ねると、やはり日本語と同じで、どうしても馬鹿にするようなニュアンスの単語ばかりが見つかりやすいようだ。知識をひけらかすニュアンスを含む「お利口さん」的な単語とでもいえばいいのか。かつてよく使われた日本の「インテリ」もそうだ。大昔にくらべて、小馬鹿にするニュアンスが増していったのち、最近ではあまり聞かれなくなった。
ただ、教えてもらった単語のうち sesquipedalian という単語だけは、ちょっと近いかもしれないと感じた。わざわざ長い単語を選ぶような人物を指すときに使われるという。日本語の場合は「長いか短いか」が難しい基準ではないのだが、英語の場合は「長い単語=小難しい」という傾向があるように思うためだ。
こんなことを書いているわたし自身も、多少は漢字で話す傾向があるようで、たまに周囲から「え?」と聞き返されることがある。
たとえば5年前に岩手にいた義母が体調を崩し、わたしは生まれて初めて救急車に同乗して病院に義母を運んだ。しばらく点滴を受けていた義母が「おしっこがしてー」とわたしに言ったのだが、わたしが看護師さんに対して出た言葉は「尿意があるそうです」——聞き返された。わたしは同じことを言った。話は通じたようだった。だが、もしかしたら一般の会話であまり尿意という単語を使うものではないのかなと、そのとき考えた。
そのときどきの状況をふまえ、相手と意思疎通がしやすい表現を選べたらよいのだが、たまにどうしても、限界を感じる。無理をするとかえってボロが出るから、失礼のない範囲で自分の普段使う単語を使っていけばいいのかもしれない。