六本木の森タワーで開催されている「ポンペイ壁画展」のチケットを買ってあったのになかなか行けないという話が出て、今日はきゅうきょ出かけることに。もっとも午前に出かけるはずが予定がずれこみ、家を出たのは昼。そこで、最初は六本木で壁画展を見てから青山のジェルボーで昼食と思ったのだが、先にジェルボーをまわってから六本木、そのあと帰宅というパターンに変更した。
ジェルボーは相変わらず美味だったが、残念なことにランチが、ちょーお得から、中くらいお得に変更になっていた(飲み物は別料金)。ま、仕方ないか。安すぎたのだからな、いままでが…。
そのあと六本木へ。相変わらず森タワーのエレベータがすさまじい。52階まで駆け上がるので乗っている人の半分が「耳がーっ」と騒ぐ騒ぐ。わたしは今回は最初から口を開けていたが、上昇中に右耳が「ばりっ」と音を立てて、空気が抜けるような感覚があった。帰りは何とか持ちこたえたが、やはり不快感はあった。
この写真は、森ビルからの東京の風景。
そのあと帰宅前に高円寺駅界隈で用事があったのだが、高円寺までもどってしまうと珈琲が飲めない。高円寺界隈に喫茶店がないわけではないのだが、自宅に近づいた場所でわざわざカネを出して珈琲を飲むのが、アホらしくなってしまううち、いつも帰ってきてしまうのだ。時間がたっぷりあるならば駅近くでトリアノンなどに寄って飲み物と軽食を楽しんでもいいのだが、今日は「てっとり早くカフェインだけささっと」という気分だったので、さてどうしたものかと落ち着かず。そこで中野で途中下車し、コメダで珈琲をすばやく飲んだら家の近所までバスで帰ろう、用事もそこで済ませようということになった。
中野のコメダは、マルイの中にある。
数ヶ月ぶりに出かけたが、店の前の椅子に腰を下ろそうとすると「ウェイティングボードにお名前を書いてからお待ちください」と、しつこく3枚くらい張り紙がしてあった。そこで連れがさっそく名前を書きに——ところがその瞬間、わたしたちより少し早く座ってしゃべっていた高齢のおばちゃん4名(おそらくその4名はたまたま一緒になってしゃべっていただけで、2組x2のグループだったようだ)のうち、ひとりが「名前を書かれてしまった!!」と、うちの連れや、ほぼ同時に書いた別の人のことを、悔しそうに語り出した。
一瞬、意味がわからなかった。椅子に腰を下ろそうとするとそこにはでかでかと「お名前を書いて」との注意書きがあるのだから、書いていないのであれば、そのおばちゃんたちのうっかりミスである。小声でぶつぶつと「書かれてしまった、でもいいわ」とか、おばちゃんはつぶやいている。いいわけがない。書かずにいたことに気づいたのなら、いまからでも書けばいいのに、このおばちゃんは理解を超える。
その後、店員さんがときどき出てきては「お待ちのところすみませんが、1名様のお席が先に空きました」とか「喫煙席が先に空きました」と、順序が違ってしまうことを詫びに来ては紙を確認していたのだが、ついにそのおばちゃん「書き忘れたの」と、店員さんに。。。そして自分とその連れのほか、別の1組のおばちゃんたちのことも「この人たちも書いていない」と、口頭で説明。
そう言われたら、列の前のほうに座っているのは事実なので、店員さんも先に通さないわけにいかないのだろう。おばちゃんは「途中で書いたら順序をあとにされてしまう、口で言えば先に書いていたことと同じになる」と、そう計算して、わざわざ店員さんが出てくるまで、書かずに待っていたというわけだ。
そしておばちゃんたちは、まんまと、先にはいっていった。
別に、実際に待っていたのはその人たちが先なのだから、横はいりされたわけではないのだが、わたしの連れや、ほぼ同時に名前を書いていた人のことを「書かれてしまった!!」と、まるで悪いことをしたかのように言っていて、それでも名前を書かずにずっとしゃべりながら店員さんを待ったあの態度、あれが世渡り術というわけか。
…ああいう大人にはなりたくない(いや、すでにじゅうぶんに大人ではあるが ^^;)。
そしてコメダのあとで、高円寺方向のバスに乗って、用事も済ませて無事に帰宅した。