政治の世界の「脅し」とは、どんなものかを想像してみる

 新潟の泉田知事が次回の選挙に出ないと表明したとのニュースが、台風10号の情報のあいまに流れてきて、かなり衝撃を受けた。いったい何をどうしたら、急にそんな話になるのだろう。反原発の話題ではつねに中心的な立場にいた人物だ。一般人には計り知れない重圧や、手を変え品を買えた脅しもあるのだろうとは想像する。だがなぜ、このタイミングで。新潟県民にとってだけでなく、今後の原発問題を考える上で、国民にとっても大きな損失になる。

 素人ならではの憶測かもしれないが「何をどう脅されたのだろう」と、つい考える。

 これは初めての経験ではない。2年前だったか、沖縄の仲井真知事が退任する直前の、あまりに大きくそして突然の心変わりだ(辺野古埋め立ての承認)。あれはもう、何を脅されたのかと、しばらく衝撃を受けていた。幸いなことに沖縄はくじけることなく現在の翁長知事を選び、基地問題などで強く本土や官邸に抗議しているが、あのときに仲井真氏の言動の変化で沖縄の人たちがどれほど衝撃を受けたことだろうと、想像に難くない。

 いま改めて検索してみると、2014年1月付け、こちらのブログ(百醜千拙草)さん内 → 心変りのワケのように、徳洲会の支援で知事になった経緯があるという分析もあり、なるほどと、うならされた。
 あくまで、上記ブログさんを拝見しての個人の印象だが、徳洲会の生体腎移植に関する問題を軽度におさえる代わりに徳州会と政権与党のパイプができ、その徳州会は、仲井真氏を推した。つまりもともと、自民に逆らうことが立場として難しい下地があったところに、その数年後の東京都知事(当時)と徳州会のスキャンダル。東京都知事でさえ命取りになりかねない同じ立場に自分がいるという、切羽詰まった状況。そのとき、あの「心変わりしたみっともない知事」への道は、避けられないものだったのかもしれない。

 泉田知事が何を考えて出馬を取りやめたのか、実際の事情が、よく見えてこない。だが何らかの「事情」があったのだろうとは、やはり考えてしまう。ぼんやりとすらも、わからない。新潟日報との確執とも伝えられているが、それは何も「いまにはじまった」話でもないように思うのだが。

 かつて外務省を伏魔殿と呼んだのは田中真紀子氏だが、政治の世界はどこもかしこも伏魔殿かもしれない。

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Comments

うーん。この人よくわかりませんね。

原発に不安という県民の心理をうまく使ってるようにも思います。
いろいろ問題もある人のようですし、純粋に通りそうもないからでしょうか。
それを圧力があったかのように思わせるのは上手ですね。

岩手の瓦礫受け入れされも「殺人に等しい」だとかちょっとひどいなと思います。
http://norisu415.blog.fc2.com/blog-entry-1244.html

コメントありがとうございます。なるほど、そういう考え方もあるかもしれませんね。

わたしは、原発は不要と思っています。なくすべきだと思っていますが、立場や考え方の違いにより水と油のように意見がなじまずにいる状況がつづく現在、やはり、民主的で理想的な歩み寄りを模索するには、こうした知事が「選挙で今後も選ばれつづけるのかどうか」という点が、とても重要な判断材料と感じていました。

それを自ら(唐突に)降りるというのは、そんな無責任な人だったのか、あるいは何かあったのかと、あれこれ考えてしまいます。好感を持っていた人や、事態を見守っていた人にしてみれば、やはり、無責任だったとは(できれば)思いたくない、というのが実際のところかと。

実際のところ人柄についてはさほど存じていませんが、国が今後も強引に極端なことを推し進めていくのであれば、多少はアクの強い人が反対派にいてくれたら、世の中全体としては、多少はバランスがとれたように見えることがあるかもしれません——(それが効力のあることかどうかは別として、単にガス抜きのように作用する程度である可能性もありますが)。

私もずっと原発には憂慮してきたんですが、いわゆる脱原発の方のあまりにも科学を通り越した意見にげんなりと言うところですねぇ。
きちんとその道の専門家が科学に基づいた意見を言えば御用学者だと非難されるので、ほとんど黙ってしまわれたのではないでしょうか。

福島からの距離は東京よりもずっと遠い岩手の瓦礫の受け入れをこの知事は拒否したりしてるんですね。

科学のデータに基づかない、ただ反対のための運動は瓦解するでしょうね、と思いたいのですがいまだに被曝で鼻血とか信じてる人がいて悩ましいです。

理屈とか、数字よりも、誰それさんが言っている、という言葉のほうが、受け入れられやすいのが現状と思います。たいへんもどかしいことではありますが。

また、わたしもできるだけいろいろな意見を読んでは考えをまとめたいと思っていますが——残念なことに、ときとして学者さん側、あるいはデータを整理して人にわかりやすく説明できる立場のライターさん側には、丁寧さにかける方もいらっしゃるようです。そこはかとなく「一般にはわかりにくいのかもしれないが、これは学問では常識なのに」といったニュアンスが、読み取れてしまうことがあります。これでは一般人は、自分が馬鹿にされているような気がしてしまう場合があるはずと、たいへん残念に思います。

昨日も書きましたが、水と油の考えが民主的、理想的な歩み寄りをするには、ひとつひつの事例(たとえばどういう考えの知事が選ばれるのか選ばれないのか)を見ていくことが重要で、一朝一夕に誰かが誰かを説得することは不可能でも、根気よさ、丁寧さが物事を決めていくべきという思いでいます。

がれき受け入れ云々は、わたし個人は、東京都で大々的に受け入れるのが道義的な責任というものではないかと思いました。もしそれで病気になったり何か事件が起こるのなら(←がれきに関しては、そこまで大げさに考えませんでしたけれど)、それもひっくるめて東京が引き受けるべきものなのではとも、思いました。

ですが、除染の土砂に関しては、それを埋め立てた上に道路を作るのは、東京だろうとどこだろうと、反対していく予定です(反対しても、やるのでしょうけれどね、この国は)。。。

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