日本語として「どこそこ地方の人にとってのソウルフード」という使い方が確立してしまっているソウルフードだが、英語のsoul foodは、米国南部で奴隷制のころから「必要に迫られて」発達してきた黒人の料理のことだ。英語にはいまでもその意味しかない。郷土の懐かしい料理とか、魂に訴える幼少時からなじんだ食べ物のような、日本語にあるような意味合いは、いっさいない。
だが、人はよく両者を混同してしまいがちだ。原因として考えられるのは、日本語として国語辞書に載ったカタカナの意味と、元の英語の意味(英和辞書や英英辞書でなければわからない)を「同じに違いない」と、もはや調べようとしないことだろう。辞書を引く手間と、引くべき辞書を考える作業を惜しんではいけない。できれば、どちらも調べるだけの心の余裕があることが望ましい。
つい先ほど、ある場所でsoul food(英語)の意味に「郷土料理」をあてている事例を見かけた。誤訳である。だが国語辞書でソウルフードを見れば「地域の食べ物」と書いてある場合もあるだろうから、その人はミスに気づかない。そしてそうした誤訳の事例が増えてくるとますます一般人の感覚が麻痺し、英語の辞書を確かめようという人がさらに減ってしまう。
横着な世代のために欲ばりなことを書くならば、外来語の語源もしくは「ほんらいの字義ではこれこれである」といった説明を添えてくれるだけのサービス精神が国語辞書の制作者側にあったらありがたいのだが、それではページ数が増えてしまうばかりなのだろうか。
とにかく、事情を知らぬこととはいえ、ソウルフードという重い言葉を、そこらへんの丼飯のように気軽に懐かしのメシ扱いしてしまう人がいるのは、わたしとしては嘆かわしく思う。命をつなぐために、白人が残した部位を食べられるように調理して生み出した料理であり、食文化である。それがsoul foodだ。そういう重い言葉であることを、ひとりでも多くの人に、多少「気にかけてもらえたら」と考えることは、食文化の本をあれこれと読んでいるだけの人間であり何の権威というわけでもないわたしだが、さほど無理なお願いではないと思う。