このところ、Facebookのザッカーバーグ氏が、Fake News(ガセ)をFacebookから排除するよう一層努力するというコメントを出したことでも話題になった嘘ニュース問題。いったいどれが嘘で本当だったのかをわかりやすく解説しようとするサイトもあるようだが、わたしはとりあえずさきほどガーディアン紙の10問クイズで9点をとったので、さほど騙されやすいほうではないようだ(笑)。
The Guardian 2016.11.17 → Can you spot the fake US election news stories?
わたし個人の印象では、今回の米大統領選中に流れた話のどれとどれが嘘だったかよりも、実際に大物候補がネットで書かれているような噂で票を得たり失ったりすることがあるとしたら、そういうリスクは今回のみではなく「ずっと何十年も前から、どこの国でもあったこと」ではないかと思う。何かの噂があったから誰に票を入れる入れないというのは、もともと「動く人」なのだ。何があってもなくても、どう転ぶかわからない人。たとえその「動く人」が全体の何割いようと、動かない人を普段からどれだけ仲間につけておくことができるかが、本来の政治家の手腕であり資質なのだろうと思う。つまり、動く人をあてにすべきでも勘定に入れておくべきでもないということだ。
さて、わたしは技術的な問題として企業によるFake News排除努力があったにせよ、情報を流す側、受けとって拡散する側の意識が変わらないかぎり、今後もガセは量産されると考えている。
昨日と今日だけで、いくつ見ただろう。Facebookで2〜3年前の新聞記事のシェアをした人。シェアをした人の文章にも数年前の記事だとは書かれておらず(もしや気づいていないのか?)、コメントする側も誰も指摘せず「シェアしました」と書くのみ、そしてシェアされた先でも機械的に「いいね!」が押されるか、あるいはまた「シェアしました」…日付くらい見て、最初の人がなぜそんな古いものをシェアしたのかを考えてから、そしてその結果「もしかして新しい記事だと勘違いしたのでは」と思ったらシェアをせずに通過するくらいの判断をしてくれたら、拡散が防げるのにと思う。
仮に最初の人が「数年前の記事だけれど最近にも通じると思うのでシェアする」と書いてあったにせよ、シェアされる過程でそれらの記述が削られていき、最後には完全に、まるでつい最近のことであるかのように流れてしまう可能性もある。そしてそれを読んだ人がさらにシェアしてしまう。
こういった、人の不注意や惰性がなくなることは、まずない。そして自分の知人が紹介した内容が古いものであっても、知らない人から回ってくるガセニュースほどの注意を払わずに、頭に入れてしまう人もいる。
ガセは、今後も、なくならない。なくなりようがないと、わたしは思う。