Facebookで、RT(ロシアの国営放送)のフランス語版が、なぜか韓国の朴槿恵大統領退陣を求める大々的なデモをライブで流していた。すごい光景だった。界隈を埋め尽くす人々、壇上での音楽などと交互に、壇上で熱弁をふるい、おそらく大統領に退陣を求めているのであろう人々——服装や話し方からして何割かは一般市民のように思えた。集会は行儀よく静かに進行し、わたしは生放送に気づいてすぐの時間帯「音楽の祭典であるかのような一体感、なごやかさと紙一重のようなこの光景は、ほんとうに抗議集会なのか?」と思ったものだった。
(ライブとそっくり同じものではないが、のちほどまとめられた映像)
RTのフランス語版といえば、ほとんどがフランス語話者が読むフランス語ニュースである。それが何の都合で韓国のライブ動画を流したのかはわからないし、動画を流しただけで視聴者にはいっさい説明がなかった。わたしはRTフランス語版を語学の勉強になるかと思っていつもは眺めているだけなのだが、今日の動画を見ている人々は、わたしと同様に、状況の理解に時間がかかっていたようだ。韓国語で語られフランス語の字幕も何もない光景を前にして「これはなに、これはなんなの」といった内容の質問が書かれては、ちらっと覗いた順から視聴者が退場。あれほどの内容であったのに、常時50人程度しかライブ動画閲覧者がいなかったのは、ほんとうにもったいなかったと思う。
韓国語を勉強しようと思ったことが、これまで一度もなかった。中国語ならまだ文字がある程度わかるし、中華料理や中国の歴史なども多少は関心があるのでやって損はないだろうと、何度か学ぼうと思ったことがある。いまでも少しなら単語がわかるかもしれない。だが韓国語は、なぜか手が出なかった。文字に馴染みがないことが大きいのだと思う。だがイントネーションの近さを考えると、学ぶ気があったらなんとかなりそうという、やや大ざっぱな期待感もある。
これだけすごそうなこと(静かで大規模な抗議集会)が行われ、若い人も含めて多くが舞台に乗って発言しているのに、声とイントネーションと表情がわかっても、聞き取れる単語は朴槿恵という人名のみ。なにやらとてももったいない時間の過ごし方をしている気がした。少しずつでも韓国語の講座や音声を流したままにしていたら、何年かのちには、少しわかるようになっている可能性もある。
今日から、韓国語を、文字はともかく音声として聞きっぱなしにしてみようかと、思いを新たにした。