できれば書きたくないほどダサいこの邦題。カタカナ並べりゃいいというものでもないと思うのだが。
Netflixにあったので見てみた。主演はハーレイ・ジョエル・オスメント(子役時代に「シックス・センス」ほかで有名だった人)、ジリアン・アンダーソン、ルーファス・シーウェル。テーマはSFなのかなという想像程度で、ほとんど何も考えず見てみた。
2000年に、科学者の父親(ルーファス・シーウェル)が、出張に出たままもどらなかった。母親(ジリアン・アンダーソン)は、行方の知れなくなった夫を待ちながらがむしゃらに働き、幼い息子を育てる。やがて12年が経過し、疲れ果てた母親はすっかり心を病み、才能ある学生でありながらもやる気のなさそうな日々を送る息子(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は恋人のことばかり気にかけて自分をおろそかにする。あるとき母方の祖父であもある大学教授から、母にはくれぐれも内密にと、息子は研究の手伝いを打診される。その研究とは、物理学が専門だった父がもしやアインシュタインに会いに出かけて事故で現代にもどれなくなったのではないか、連れもどせば本来の幸せだったはずの生活が全員を待っているのではというもので…
…時間SFはかなり好きで、文章でも映像でもよくチェックしているほうだと思うが、この話は、ちょっと、味が薄いと感じた。何せ、父親が現代にもどってきた社会が実現したならば、研究をしていた祖父や孫など「本人ら」も含めて元々の世界へと軌道修正され「何も覚えていない」はずである。成功時に自分たちが何も覚えていないとわかっていて、それで実行する価値なんか、あるのだろうか…? これはわたしがそう解釈しているのではなくて、登場人物らがそう語っているのだから勘違いではない。成功したら自分たちが覚えていない「元々の世界」が実現されるというのは、それはもう、いま苦しんでいる自分ではないのだから、自分のためにやるという理屈も成り立たないだろう。
(ただ、あながち自分たちだけの願いというわけではなく、母親や周囲の人々も幸せなままでいられたはずという解釈をするならば、人助けという大義名分は…もしかしたら、あるのか? いやいや、苦しんでいる人のため世界をそっくり変えるのではなく、その場で手をさしのべてなんとかしようと考えるのが、現実的のようにも思うが)
ストーリーとしては、最後に息子がとった行動がなかったら、物事には決着がつかなかったのだろうと思う。それも理屈として考えれば理解はできるのだが、やはり味が薄い。この息子、ちょっと性格や描写の設定が緩いというか、苦しいことを苦しい苦しいと言いつづけ、思いつづけ、そこから明るくなれずに12年を送ってきたため、なんだか安易で暗い方向に発想が行きやすいように思えてしまうのだ。
薄味で、ちょっと、カタルシスなさすぎ…という気がする映画だった。