何年か前からfujisan.co.jpの会員になっていて、廃版になって入手困難なムックや、雑誌のバックナンバー、あるいは新刊でもつい忘れそうになる専門的な雑誌(味の素のvestaなど)を購入しているのだが、最近になってデジタル専門のサイトtabuho(タブホ)も読みはじめた。
fujisanのほうでも、契約している雑誌で新しくないもの以外は(あるいはほんとうに、つい最近のものでさえ)無料で閲覧させてくれるものもあるが、tabuhoのほうは小額とはいえ月額制の専門サイトなので、新しいものを読ませてくれる種類や量がかなり違う。
わたしのように紙媒体が比較的好きな人間であっても、最近はもう、デジタルが選べる場合はデジタルでよいかと思うことが増えてきた。紙の雑誌文化は、今後どうなるのかと、自分が買わなくなってきているくせに案じるのは申し訳ないのだが、ちょっと心配になってくる。
デジタル配信が主流もしくは前提になってくると、内容や構成、編成にも変化が訪れるだろう。見開きできれいに見えるレイアウトを作っても、デジタルで見る側は1ページずつの設定にするかもしれない。苦労または工夫するべき場所が、見る側の環境が多様化するからだ。
さらに、ライターや編集者など「作る側」はより一層のコスト削減と苦戦を強いられ、売る側(出版社が販売を依頼する大手オンラインサイト)は、より手軽に「前号のこのコーナーと、今号のこれと、一緒にして”いいとこ取り”の抜粋配信すれば、2冊分よりお金は減るけれど小額ずつ売れますね」と、切り貼りを増やしていくだろう。作り手の思いや、苦労は、切り貼りされやすい形で消費されていくのだろうなと、想像する。
実際、わたしは昨日、tabuhoで読める「おとなの週末」の一部が、Amazonの電子書籍で抜粋され、「おとなの週末 select」という名で配信されていることに気づかず「別雑誌?」と、あやうくクリックしそうになった。だがおかしいと思い、tabuhoで似た見出しで内容を検索すると、通常の「おとなの週末」の一部を取り出して、Amazonが「おとなの週末 select」として出していることに気づいた。危なかった(笑)。おとなの週末ならば、tabuhoで読める。
家の内部の重さが心配ということもあり、雑誌や書籍を処分しなければと考えて2月ころから少しは捨てているが、活字への思いが薄れたわけではない。
今後も、状況が許すならば、紙媒体の雑誌や書籍も、入手したいとは、考えている。