このところ、Facebookでいつも作っている日本語と英語の発音を入れた動画ファイルに、意識して鼻濁音を使うようにしている。絶滅危惧されている鼻濁音なので、そういうこともやってみるべきかと。
ちなみにわたしは、鼻濁音を発音として使うことはできても、どこで使うか判断できないことがある。わたしが生まれ育った北関東のあたりでは、あまり鼻濁音は使われていなかったためだ。だから東北出身できれいな鼻濁音を使うネイティブに、いつも「この単語は鼻濁音にしてよいかどうか」を確認してから録音している。
昨日初めて、録音した内容と同じファイル名を(音声入力で)つけようとして、Siri(iPhone内部の音声を聞きとる機能すべて)が、鼻濁音をまったく認識しないことに気づいた。普通のがぎぐげごに置き換えて認識するのではなく、似ても似つかない別単語ではないかと判断するらしい。
たしかに、これからの時代にSiriが鼻濁音を認識すべきということはないのかもしれないが、なんとなくさみしさを感じた。