今日のことだが、昼間の早い時間の電車内にて、ちょっとした網棚の事件があった。
席はほぼ100%埋まっていたが、立っている人もそれほど多くなく、3割くらいいたかどうか、という程度である。東京23区内の標準で考えれば、混雑率がどうのという表現よりは、空いている車内といった印象だった。
わたしの左脇には高齢の男女。女性は耳が遠いのか、あるいは性格がおおらかなのか、わりと大きな声で話す人だった。「山手線の駅順」について、ちょっと間違ったことを言っては男性に「順序が違う」とか「間に○○駅が」と言われていた。
そんなとき、おそらくその高齢男性の膝をかすめて足先を直撃したくらいの勢いだったと思うが、目の前の若い男性が網棚にのせていたブリーフケースが落ちた。ブリーフケースといっても、落ちたときの衝撃から考えると重さはあったと思う。若い男性は即座に「すみません」と言って、網棚にのせていたブリーフケースをのせ直すことはせず、手で持った状態にして、つり革につかまった。あまり凝視していたわけではないが、どういう工夫をしたものか、それでもときどき文庫本のようなものをめくって読む程度には、手は使えていたようである。
なんだ、ちょっと工夫する程度でそこまで身動きのとれる程度の荷物なら、最初からのせておかないほうがかえって安全だったのではないかなと、ちょっと考えた。
わたしは荷物が足先に直撃したであろう高齢男性のほうを気にしていたのだが、痛いとか、そういったことではなく、連れの女性が話を(一時的に)やめたことで間が持たなくなったのか、膝を何度もこすっては「すすみたいなものが」と、2回くらい言った。おそらく「ほこり」という意味だったろうと思うのだが、言い間違えたのだろう。男性のズボンは焦げ茶色で、その件の影響かどうかはわからないが白っぽいケバのような埃があるといえば、あるようだったが、わたしにはそれが落ちてきた鞄と関係がある埃なのかどうか、ちょっと判断がつきかねた。若い方の男性も、痛いと言われたのならまだしも「すす」では何を答えたらいいのかと思ったのか、目の前で堂々と活字を読んでいた。ふたたび謝ることも、気まずくて場所を移動することもせず、そのままだった。
そのあと、また連れの女性のほうが、ちょっと間違っている駅順の話にもどり、少なくともその人だけは楽しそうだったが、男性のほうは、まだ駅順の話をするのかと、疲れてきていたようにも感じた。考えすぎかもしれないが。
さて、網棚。
何十年も前のように、電車で数時間もかけて乗り継ぎながら目的地に行くような移動をする人は、減った。人が持ち歩く手荷物も、必然的に減ったと思う。新幹線などですら「現地から帰宅前に荷物を送る」などというのが一般的になって、乗客の手荷物が減っていると感じるほどだ。
すると、現在の網棚は、何を置く場所ということになるだろうか。座っている人はよほどの大荷物でないかぎりは自分の膝にのせるだろう。そして混んでいる状態ならば、自分の目の前にいる「立っている人たち」のほうが荷物に近いのに、それでも網棚に自分のものをおいておける度胸がある人は、なかなかいないだろう。つまりは「立っている人たちが、両手を少しでも自由に使いたくて何かを置く場所」ということに、なるだろうか。だがそれは何か。立っている人たちにしてみても、やはり盗難は心配なはずだ。
いずれにせよ、現在の網棚は、落下や置き忘れ、盗難のほか「故意に何か(害をなす物)を放置される危険性」という面からも、もう少し考えていったほうがよさそうに感じる。
わたしは、新幹線以外で網棚に何かをおいたことは、ない。