apologist – 代弁する人

 父であるトランプ米大統領のシリア攻撃について、ツイッター上で支持を表明(人道的見地からおぞましい犯罪を見過ごすことなく決断した父を誇りに思うとツイート)した娘イヴァンカ・トランプ氏に、ならばシリアの難民を米国に受け入れないことについて意見を求めるとしたコメントがテレビのニュースキャスターから発せられた。たちまち、何人もの人が彼の発言もしくは元となるイヴァンカ氏のツイートにコメントした。割合はわからないが、ざっと見たかぎりでは、一部はイヴァンカ氏のapologist(代弁、擁護する人)であったかと思う。

 本人にじゅうぶんな言語運用能力やコメントに応対する気力があった場合であっても、かならず擁護者はいて、ときとして雄弁に発言をするものだ。まして当人がだんまりをきめこんだ場合などは、この外野席が騒がしくなる。

 最近の、復興相の発言とその撤回に関する騒動について、思う。
 論点というのだろうか、かなり初期のうちから、実際と世論がズレているように思えてならない。

 問題なのは、話の内容や「自己責任」という表現ではなくて、記者会見と質疑応答で自分がいらついてしまった場合に対応ができず、感情のままに「もう来ないで」と言ったことである。政治家たるもの、ましてや重責を担う立場であり昨日今日に初当選したわけでもない人ならば、いらだちそうになる場面でどうすればすっきりと場をおさめられるかの知恵があって当然。それを「もう来ないで」である。
 また、復興相を擁護する発言をされる方の傾向としては、質問をしたほうに問題がある、あれでは怒っていらいらするのも無理はないという話に結びついてしまいがちのようだが、それは突き詰めて考えると、危険ではないだろうか。滞りなく会見が終わるようにと、政治家の側が努力するのではなく周囲が気を遣うようになったら、質問はすべて事前審査制、入場者も事前審査となる。なれあいになっている人しか記者会見に出られなくなるのだ。日本には記者クラブというなれあい状態がすでにできあがってしまっているが、それでも一部の人たちはなんとか組織に属さず報道したいと考えている。その芽を摘んでしまうのが、為政者からの圧力ではなく周囲の一般人の自主的規制であったら、自分たちの手で、報道をとりまく環境を悪くしていくことにほかならない。

 政治家は自分の言葉で、自分の力でその場に対処できなければいけないと、わたしは思う。もう来ないでと言うような人が、その事実(自身の資質)ではなく「自己責任」という言葉のほうを撤回して終わりになると思っているのであれば、わたしはますます今後に期待できない。

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