何年くらい前からだろうか。おそらくは、10年以上が経過していると思う。当時すでにちょっと呆けていた義父母が、壱万円札と間違えたのだと思われるが、伊藤博文を何枚も封筒に入れて、家族に渡したことがあった。
それを受けとって東京にもどってきた家族が、何十年ぶりかに見る伊藤博文に愕然とし、これはいったいなんだろうとわたしに見せた。本人は福沢諭吉を持たされたと思っていたらしく、すぐには事情がわからなかったようだ。わたしが(ちょっと店で使うには古ぼけた紙幣だったため)「あとで預金できるかどうか窓口に聞いておく」と言ったまま、財布の中の一番使わないポケットに入れて、それきり忘れていた。
つい先日、よい長財布を買った。ポケットもたくさん付いている。いままでの長財布のすべてのポケットを確認しながら移動させるときに、数年前に一度「その前の代の財布から引き継がれてまたもや忘れていた」伊藤博文を、ふたたび発見。さすがにこのままはどうかと思い、今日は銀行に寄ってみた。
入り口近くのカウンターにいる、何でも相談できそうな係の人に「古い紙幣はATMで預金はできませんよね?」と尋ねると、どのくらい古いかにもよるが、おそらく(わざわざ係員に声をかける程度の古さという意味と解釈すれば)無理と思われるとのこと。念のため紙幣を見せると「預金ではなく両替でよろしければ、いま窓口からお呼びします」と、番号札を引いて手渡してくださった。
待つ時間に、名前と電話番号と金額を書いた紙を記入しておいたが、ほんの5分程度で名前が呼ばれ、折り目のない新しい札に替えていただくことができた。
両替のあとで、いったいあれは何年くらいの印字がなされた紙幣だったのかも、まったく気に留めていなかったと気づいた。おそらく流通していたのは三十年くらい前だったのではないだろうか。夏目漱石になってしばらく、色が濃いなぁと思っていたが、やがて慣れてしまった。伊藤博文は色が薄くて、なんだか子供のころに遊んでいた人生ゲームか運命ゲームの「おもちゃにあった外国紙幣」のような色合いだった。