大げさなタイトルになってしまったが、今日はNetCommons3で運営するサイトを操作しながら、しみじみ感じた——これはほんとうに「日本的」だな、と。
学校や自治体などの利用が多いソフトウェアであり、そういった立場の方々から寄せられる意見で中身が構築されていくのだろう。たとえば、ログインしていないときに画面を見ると発言者のアバターはすべて無味な記号になっている。ログインして画面を見ると各人が設定したアバターになっている。記事投稿の際に実際が「32分」であっても画面上は「30分」と指定すれば、ログインしている人同士では30分に書かれた記事であり、ログインしていない人間が見ると32分の記事である。そういう「ちょっと考えるとどうでもよさそうな」場所が、丁寧に作られている。
それから、これはとくにNetCommonsというわけではないが、以前から日本の会社が運営するSNS等では、送信や決定のボタンの前に「確認」というプロセスがひとつはいることが多いと感じている。わたしはあっさりとした性格なのか、自分としては確定ボタンを押したつもりになって離席し、何時間も経ってから画面を見て「確認ボタンを押す前の状態でタイムアウトになっている、どうしよう、やり直しだ」と青ざめたことが何度かあった。そして今後もまたそれをやるだろう。
国民性もあるかもしれないが、いろいろな国の人がいるFacebook等を見ていると、たとえミスがほんの一部でも編集ボタンを押さず数分後に「さっきの投稿はスペルが間違っていた」と追加で書く人、ニュアンスが少し違う程度でも何度も丁寧に編集ボタンで直す人、あるいはまったく消してしまって新規で書く人、いろいろいる。そういった人々の傾向を見ながらニーズを考えたソフトを作ってくれる人たちがいることに、感謝している。