毎日あたりまえのように目にしているもの。いつもあたりまえのように読み書きしている文字、操作している手の動き、しゃべっている言葉。それらのひとつひとつに、いちいち意味を求めたり、確認していくうちに、わけがわからなくなる。いったい自分は何をしているんだろうとか、考えはじめてしまう。
…こういう状況を、なんという言葉で表現するのだったかと、それを忘れてしまった。
たとえば、以前に買って忘れていた中塚翠涛さんのペン字練習帳を見つけて、たまにページを開いて書いていると「なんだこの文字は。あれれ、書き順はどうだったか」などは序の口で、そのうち、「ね」なのか「ぬ」なのか、「あ」なのか「の」なのか…何かで気が散ったその瞬間に、自分が書いている文字がわからなくなる。いったい、そもそもこの文字は何なのかと。成り立ちや意味を通りこして、存在について考えてしまう。
ああ、ここまで書いていてやっと思い出してきた。中島敦の作品「文字禍」のような話だ。じっと見て考えなければいい、ただたんに雑念を払ってペン字を書き写していればいいのに、余計なことを考えて、わけがわからなくなる。これ、なんというんだったか。なんだかドイツ語だったような…
(文字では1行分だが、ここで2分くらい考えた)
…あーっ、思い出した、ゲシュタルト崩壊だっ。
ペン字は下手なりにそろそろ終わりになるので、近日中に写経のノートを開始しようと思っている。わたしは今後も同じようなこと「この文字はなんだ」に悩まされることになるかもしれないが、それもまた、楽しいかもしれない。