ときどき「この人、あわててしまったのか、あるいは本当にそういう言葉があると信じているのか」と、ひとさまの発言に驚くことがある。だが自分とて、かなり怪しい。
先ほど「同じ轍(わだち、てつ)を踏む踏まないなら話はわかるが、なぜ二の轍(にのてつ)を踏むという言葉があるのか、何が一で何が二なのか」と、真面目に悩んで検索した。すると、二の轍は「二の舞」の誤用として使われているらしい。なるほど——
誤用の可能性は考えず、理由があるような気がしてしまい、なぜかを知ろうとして検索をかけていた自分に、苦笑してしまう。
恥かきついでに…。
わたしは最近まで「ごセイチョウ(清聴)ありがとう」を「静かに聞いてくれてありがとうの意味で、静聴か?」と思っていた。
まだまだ、たくさんありそうである。