阪神淡路大震災が1月。地下鉄サリン事件が3月。1995年というのは、とても苦難に満ちた年だったように思う。
わたしが最後の海外旅行に出たのも、あの年だったかもしれない。初夏のころ、詳細な順序はよく覚えていないが、パリとロンドンに出かけたような記憶がある。まだ日本でも連日オウム真理教関連のニュースが流れていた時期で、外国で入手する新聞や、ホテルのテレビからもときおり「トーキョー」という単語が流れてきた。フランス語だったので自力での理解限度を大きく超えており、教えてもらいながらテレビを見たことを覚えているので、おそらくパリにいたのだろう。
あの年は、オウム真理教関連だけでも、たいへんだった。新宿の地下で爆破未遂もあったし、何かことを起こすと予告めいた言動をしたことにより新宿駅前のデパートが営業をとりやめたこともあった。とにかくいろいろなことが殺伐としていて、漠然とした言葉で表現するなら「物騒」だった。
阪神淡路大震災については、ただただ驚き、テレビなどでニュースを見るばかりだった。だがその翌年(1996年)からインターネットを本格的にはじめた関係で、神戸に住んでいる何人かとも、知り合いになった。全国ではどういう話になっているのか知らないが、現地ではこんなことがあったんだよ…などの話を、少しうかがった。
たとえば市街地でマンション上階に住んでいた人で、分譲の入居者が多かったため「今後も顔を合わせつづけるのだから、できるだけこらえにこらえたけれども…」というご苦労。やはりインフラが不安定になると、水や水道、電気などの割り当て問題やら、普段は気にしなくて済む程度だった人間関係の重さがぐっとがのしかかってきたのだとか。
常時でない状態では、人のこころや人間関係は大きく変化する。すぐ元通りになると信じていられる程度の期間ならばともかく、あれだけの被害規模であり、長い時間をかけた道のりだった。
あの一年は、ほんとうに、いろいろなことがあった。
素晴らしいことがたくさんあった年というものはなかなか記憶されないが、衝撃的なことがあった年をあげるとすれば、わたしにとってはこの1995年が上位で間違いない。