ときどき見ているベイツ・モーテル。以前はHuluで見ていたのだが、第3シーズンはNetflixにあったので、そちらで見ている。どうも本国では2017年春まで、合計5シーズンが放送されたようだ。
50年以上前の映画「サイコ」でアンソニー・パーキンス演じるノーマンが、家で世話をしていると称していた母ノーマ(実は死亡していた)は、あの初回の映画を見るかぎりではおそらくひどい母だったのだろうと、観客が勝手に想像して終わる存在だった。だがこのテレビシリーズでの前日譚では、プロデューサーも兼ねた主演女優ヴェラ・ファーミガの体当たり演技で「普通に過ごしたいのにそれができない、さまざまな事情にがんじがらめにされた女性」とその息子たちを、浮き彫りにしている。
第1シーズン冒頭では、引っ越してきたばかりでモーテル経営に意欲的な母とその息子ノーマンが描かれる。だがその建物売買にからみ、かつての持ち主が嫌がらせをしてきたことで、さっそく第一の危機。その後、都市伝説かと思われていた話が実際のことではないかと、犯罪の影が見え隠れする。ノーマが心を許した男が犯罪者とわかったり、地元の保安官が煮ても焼いても食えないほどの男であることや、せっかくのモーテル開業というのにバイパスが完成したら人が通らなくなるという事実が次から次へと。
ノーマのもうひとりの息子でありノーマンの兄となる(ただし父親は異なる)ディランが、ふたりを追いかけるように街へやってくる。なぜかディランには距離を置きたがるノーマだが、ディランはすぐ地元に溶けこんで裏の社会でも顔を売るようになる。そのあたりが第1シーズン。
終盤で、ノーマンは自分に文才があると言ってくれた女性教師と、才能を開かせて母から精神的に巣立つことになる自分とのあいだで揺れ動く。ノーマンの母への思いは屈折し、ときとして何かを命令されている妄想に支配されることもあった。そして…
第2シーズンでは、ディランがだんだんと家にも溶けこみ、母や弟から頼りにされるようになる。ノーマとディランの関係も、ノーマンの精神状態について隠していたことをノーマが話したことにより、だいぶよいものになっていった。モーテルの経営のためにはバイパスができないほうがよいと考えるノーマは地元社会への根回しに奔走したり、ふとしたことから舞台の勉強をしてみようかとも考えるなど、忙しい。だがノーマンの状態は悪化していった。やがて、精神的な問題があって事件に関与しているのであれば、きちんと判断をしてもらった上で治療を受けさせようということになり、ノーマとディランは保安官の捜査に協力して、ノーマンを嘘発見器にかけてもらおうとする…
第3シーズンでは、裏社会からできるだけ遠ざかってまじめに生きようとするディラン、そして第2シーズンで登場したディランの実の父、モーテルで受付などを手伝いながら兄弟を見守るエマ(ノーマンのクラスメートだがのちにノーマン同様に在宅学習の道を選ぶため、比較的多くの時間をベイツ家に関わって過ごすヒロイン的な存在)らが、描かれる。
そして今日わたしが見た第3シーズン6話ではついに、ノーマン役のフレディ・ハイモアが、少年のようなあどけない顔で狂気の名演技を披露する。背中がゾクッとくるほど、うまい。まさに「サイコ」誕生である。
この第3シーズン6話は、歴史に残るのではないだろうか。すばらしい。
フレディ・ハイモアは、実はわたしがひそかに「志垣太郎の若いころにそっくり」と思っている顔立ちなのだが、なんと2005年の「チャーリーとチョコレート工場」における主役の少年だったらしい。当時の写真を見ても、志垣太郎に似ていない。だがいまわたしはベイツ・モーテルを見るたびに、志垣太郎を連想しないようにするのが精一杯なのだ。一度そう思ったら、もう止まらない。みなさんもぜひ、ご覧ください。