先日、若いパパさんと一緒に書店にやってきた小さな女の子が、ある本を指さして大きな声で「ほ(ぉ)おとり」と言った。イントネーションとしては「こうのとり」のように「ほ(ぉ)お」に力がはいった言い方だった。
わたしはその女の子が何を指さし、そしてぺらぺらとページをめくりだしたのか、興味本位で近づいてみた。すると、最近翻訳された米国大統領関連の暴露本「炎と怒り」だった。「怒り」が読めず、炎はなんとなく「ほ」だとあたりをつけることができたのか「ほおとり」となったらしい。
これを家族に話すと「それは”とにりぬ”だ」と言う。天才バカボンのパパが映画の「風と共に去りぬ」の漢字が読めず、平仮名部分だけを読んでそう言ったという逸話があるのだそうだ。まるで知らなかったが、たしかに現象としては同じである。なるほど、バカボンのパパの話も、こういった子供の言動から生まれたのだろうか。
よく考えると、ネットでは適当に間違えて読んでそれが笑い話として定着し、スラングとして残ることがある。ホームページは home page なので、ふざけて「ほめぱげ」と書く人がいたし、大手掲示板では巣窟(そうくつ)は「すくつ」と誤読されそのまま、既出(きしゅつ)は「がいしゅつ」など、あげれば切りがないほど数がある。
言葉が人が使うものであり、読み間違いがきかっけであっても、「赤信号みんなで渡れば怖くない」の理屈で「人が多く使うようになれば、いつか主流になっていく」可能性を、いつも秘めている。
たとえば「御用達」を「ごようたつ」と読むのは「ごようたし」より多いのかどうか。代替品(だいたいひん)は、文字で書いてある物を読み上げるなら「だいたいひん」で問題ないが、会話で口にするときは「だいがえひん」と言わないと、若い人には通じないかもしれない。これは市立(しりつ)を音で読み上げるとき「いちりつ」、私立(しりつ)を読み上げるとき「わたくしりつ」と読むことが多いのにも通じる、聞き手への配慮だろう。
ネット社会が発達するにつれ、読み上げソフトなどの支援でも従来のひらがなカタカナ漢字アルファベット以外に、記号やスラングにもどんどんと対応していかなければならないだろうが、かなり苦労の多い作業ではないかと推測する。そうしたソフトで記号をどう読んでいるのかは、ちょっと気になるので、あとでkindle本でも日本語で読み上げてもらうとしよう。新しい発見があるかもしれない。
余談だが、福山雅治主演でリメイク公開されたらしい映画「マンハント」の元作品「君よ憤怒(ふんぬ)の河を渉れ(わたれ)」は、かつて高倉健が主演したものだったが、当時わざわざこれを「きみよふんどのかわをわたれ」と、「ふんど」の読み仮名までつけて公開した。聞くところによると、当時の制作関係者が憤怒を「ふんど」と読み違え、それを指摘されたことで、ならばと「ふんど」を強調して公開することにしたのだとか…そんなことがあるのだろうか(笑)。「ふんど」という読み方もあるらしいと言う人もいるが、真偽は不明。「ふんぬ」のほうが一般的とわたしは思うし、原作の小説では「ふんぬ」だったことは言うまでもない。今回の映画はマンハントというタイトルだそうなので、そのあたりは問題にならなくてよかった。