2002年に堺屋太一が「平成三十年」を書いたころ、ネット上であらすじを紹介するサイトがいくつもあった。たしか主人公の退職時にそれまでのデータをフロッピーに入れて持ち帰るという表現があったように思うが、作品発表当時ですらフロッピーはお亡くなりに等しい状態だったと思うし、まして職場のデータを持ち帰るというのはどうなんだと思った記憶がある。
そして、ストーリーのほとんどは覚えていないものの、漠然と、日本は本当に平成三十年までつづくのか(ほかの元号になっているのではないか)と考えた気がする。
現在の天皇陛下は即位時ですでに50代なかばでいらした。この数年で手続きの難しさが話題になったものの、当時のわたしは、ご本人が強く希望される、もしくはご高齢であるなどの事情で、三十年を待たずに次の元号に行くこともあるだろうと、考えていたのだと思う。
陛下は来年に退位される。平成がほんとうに三十年と少しつづいてから終わろうとしていることに、感慨深いものがある。次の元号について、そして現在の皇太子さまがどのような象徴となられるのか、残された1年を見つめていきたい。