今日、おもしろいツイートを見かけた。そしていくつか思い出したことがある。
字幕翻訳家はもう「女性キャラに過剰な女性言葉は使いたくない」と言ってるらしいけど、もっと上の方の人が「女性は女性言葉を使うべき」と言うので仕方なくそうしているとか。どこの業界もジェンダーフリーになってきた世代とジェンダーガチガチのバブル前世代でズレが生じてきてるなあ。 https://t.co/LnMko8QHth
— かおり (@kaori_peridot) 2018年7月15日
25年以上、あるいは30年近く前のことだと思うが、翻訳家や出版社のみなさんが気軽に食事をしている場に、混ぜていただいた。当時わたしは著名な翻訳家と面識を得て、そうした場に出席することがあったのだが、いまから思えば怖い物知らずで、思ったことを平気で口にしていた。曰く(その著名な翻訳家の文章を例にとり)登場人物が女性である部分の語尾が過剰なまでに女性っぽい、と。話していた相手は出版社の男性編集者で、パッと見たかぎりではわたしより10くらいしか年上ではなかったと思うが、ふむふむと聞いた後に「そうじゃないと女性の台詞だとわからなくなる場合もあるから」と、返してきた。わたしは何も言えなくなった。それがおかしい(性別により表現を過剰なまでに固定することが必要か)というのは話の前提だと思っていたのだが、そうではなかったのだ。だから、それ以上は何も言えなくなった。
外国のテレビ番組をよく見る。
70年代にバイオニック・ジェミー(英語の原題は Bionic Woman)という作品があり、登場人物らはファーストネームで呼び合っていたが、主人公の女性ジェミーの日本語吹き替えでは、田島令子氏が美しくも上品な声で、オスカーという男性を役職で「局長」と呼んでいた。日本語としては職場でファーストネームで呼び合うことは受け入れられないと(誰かが)思ったのだろう。
わたしがその番組を見ていた当時は、日本語吹き替えで見るか、あるいは副音声をラジカセ等で脇から流してテレビから流れてくる日本語と重ねて聞く程度しか、できなかった。そのためしばらくのあいだ「局長」のニュアンスがおかしいということに気づかなかった。
こうした例は、何も70年代だけではない。つい10年程度前に放送していたアメリカの番組「CSI Miami」では、主人公のファーストネームはホレイショというのだが、登場人物らが言語ではホレイショと読んでいるのに字幕には「主任」と出ていた。文字数が短縮されるのは事実かもしれないが、これもまた、21世紀に訳す字幕としては不適切と思わざるを得ない。なお、わたしはCSI Miamiを字幕で見ていたので、吹き替え放送でどう訳されていたのか(ホレイショなのか主任なのか)は、確認していない。
70年代のバイオニック・ジェミーの時代と、いまと、もしかしたら大差ないのかもしれないと、今回のツイートを拝見して考えた。