ぼちぼちHulu解約か…?

 Huluは何年もずっと利用してきたが、最近はNetflixも契約していることと、去年の7月からツインピークス見たさにWOWOWに加入したためHuluで見ていたクリミナル・マインドを今後はWOWOWで見ればよいかという気分になってきたこととで、解約も視野に入れている。WOWOWではシーズン12を見てしまったのだが、HuluではもうWOWOWでやらなくなったシーズン11が見られるので、それを見終えたら検討してみよう。

 そもそも、Huluが米国のHuluとは別の系列となり、日本国内のドラマがかなり増えたことも、あまり見なくなった理由として大きい。そしてURLが hulu.jp ではなく、happyon.jp に変わったときから、会社としてはハッピーオンと読ませたいのだろうがわたしとしては何度もハッピョンと読んでしまい、たかが語感の問題と侮るなかれ、なにやらちょっと印象も変わってしまった。

 WOWOWは値段が高いだけあって周囲をなぎ倒す破壊力抜群であり、わが家はスターチャンネルすらも、いったんやめることになった。WOWOWがあればなんとかなるという気分になってきたのだが、もちろんこちらにも欠点はある。有名ドラマでいったん過ぎ去った過去シーズンの放送は、ほぼまったく望めない。次から次へと新しいものを新しい状態で放送する。つまり「このドラマはあとで見るかも」と思ったら、放送時にひたすら録画するしかない(笑)。

 ハードディスクにひたすら録画を溜めていく人の話を、以前は信じられない思いで聞き流していたが、いまは自分がその立場である。

ミッシェル・ポルナレフが、あの人に見える

 先日から訳あってミッシェル・ポルナレフの曲を検索していた。Apple Musicにはいっているものであれば定額料金なので、タイトルを見て「これかな」と思うものがあれば聞いては「これも違った」と、わくわくとがっかりをくり返し——そして今日、ようやく見つけた。

 30年以上前に、NHKのフランス語講座(おそらくテレビのほうだったかと思う)で、当時のフレンチポップスを流していたのだ。番組内ではそれをシャンソンと表現していたが、当時ですらシャンソンといえば違うジャンルを連想したのを覚えている。昭和中期くらいにバーなどで本格的な歌を披露していた方々の歌うジャンル、というイメージだった。いっぽう番組内で実際に流していたのは、ポップスだった。

 そのうち数曲ほど覚えている曲があったが、誰の何という曲か記憶が曖昧なまま30年以上が経過してしまった。ミッシェル・ポルナレフだろうとあたりをつけて検索をして、ベストアルバムの類いをいくつか聞いてみたが、それらはなかった。

 けっきょく今日になって2曲が判明したのだが、それまでの数日間、わたしの頭にどうしても浮かんで離れない思いが——ミッシェル・ポルナレフが、内田裕也に見えて仕方がないのである。どちらかしかご存知ない人であっても、お使いのブラウザで「ミッシェル・ポルナレフ 内田裕也 似ている」と打って画像で確認していただければ、ご理解いただけるのではないかと。激似…!?

 さて、曲のほうだが、最初にひとつ見つかったのは、Alain Souchon (アラン・スーション)の曲 J’ai perdu tout ce que j’aimais である。
 

 
 なぜこれが奇跡的に見つかったかというと、冒頭の歌詞 Sous mon pull-over, pas tranquille を覚えていた。そのまま打ったらGoogleで引っかかったというわけだ。インターネット時代さまさまである。

 もう1曲は、ほんとうに苦労した。ミッシェル・ポルナレフであることはほぼ間違いないと思っていたのだが、Apple Musicにはタイトルが日本語になった曲としてしか検索できないようになっていた。タイトルもだいたい覚えていて歌詞の雰囲気もわかっていたのだが、いくら検索しても引っかからない。仕方ないので、日本語でミッシェル・ポルナレフに関する記事を検索していたところ、ある曲のタイトルがわかった。記憶にあったものとよく似ていた。そのタイトル(フランス語)ではApple Musicで検索できずにいたが、日本では「天使の遺言」というタイトルで売られていたことがわかり、それで検索しなおしたところ、Apple Musicで確認することができた。

 インターネット時代というのは、昔のたいていのことは(根気さえあれば)検索できて、便利だと、しみじみ思う。

宮古←→室蘭のフェリー就航

 最近、乗り物が好きである。
 ふとしたことから、小笠原諸島に行くには貨客船「おがさわら丸」で24時間かかるという記事を読んだ。東京都同士とはいえ最初と最後の数時間を除けば、洋上ではほとんど電波もはいらずに、携帯やネットは使えないらしい。わたしにとっては苦行かもしれないので、小笠原諸島に興味はあるもののそちらを想像することはひとまずやめて、就航したばかりのシルバーフェリー(宮古←→室蘭)について、検索してみた。

 シルバーフェリー
 宮古を朝に出て室蘭に夜到着と、室蘭を夜に出て早朝に宮古着の往復らしい。片道10時間。運賃のみならば、いちばん安い切符が大人6000円(最高は15000円)で、手荷物運賃、乗用車などは別途。
 おそらく運送業務等で陸路を走り続けた場合にかかる時間を、フェリー上でドライバーの休憩にあてることで、交代要員を手配しなくてもよいなどのメリットが期待できるのだろうか。一般的な観光客が期待できるかといえば、よほど船が好きという理由、または北海道を自車で回りたいなどのドライブ好きの人を除いては、それほど需要が高くないように思う。

 フェリーはほとんど乗ったことがない。瀬戸大橋ができる前に和歌山から徳島まで乗った記憶があるが、夜だったので外の景色も見られず、揺れて船酔いしてしまった。昼間だったら少し違ったのだろうか。

 ハウステンボスの移動式球体ホテルも、実はちょっと気になっている。もちろん、記事の後半で説明されるジュラシックアイランドにではなく、興味があるのはホテルのほうだ(^^)。

セルフメディケーションという言葉に思う

 従来なら保険薬(医師の処方で入手する薬)であったものが切り替えで店頭販売されているもの、通称OTC薬(over the counter drug 店頭で買える薬)のレシートを集めておけば、条件に合っていれば還付が受けられるという制度が、試験的に数年の予定で実施されている。

 これまでドラッグストアで市販薬を買うには、たとえ薬剤師に相談する場合であっても、多少のうしろめたさがあった。自分で選んで買った薬が効いているのかどうか自信がなく、けっきょく病院に行き、医師の処方を受けて別の薬を買い直すことになるのではないかという懸念もあったし、店によっては薬剤師みずから「病院で診察を受けてみてはいかがですか」と言うこともあった。買うなと言わんばかりの薬剤師に、行く暇がないから試してみたいと強く言って、買ってきた経験もある。

 そんなときに、このセルフメディケーションである。自分で考えて薬を服薬(あるいは塗布ほか)するというものだ。カタカナはかっこよい。意味もわからず、なんとなく語呂がよい気がしてしまう人もいるだろう。だが政府が思うほどこれが健康保険の使用抑制に結びつくか、病院の混雑が緩和されるかといったら、あまり期待はできないのではないだろうか。医療や薬に依存する傾向のある人は、新たな選択肢が増えた(処方薬のほかに、堂々と買える市販品が増えた)という程度に考えているように思う。
 そして製薬会社やドラッグストアは、販路が拡充されたと喜んでいるのではないだろうか。つい10年くらい前に、通販で薬を売ってよい悪いの通達をめぐり、厚生労働省と大手通販サイトなどのあいだでかなり大きな争いになっていた。店なら薬剤師がいて説明をするが通販なら客が勝手に薬を買えるというのが大きな争点だった。だがこのところ、店で棚から何を選んでいても薬剤師のほうから声をかけてくること自体が、ほとんどない。すっかり風潮が変わった。(ちなみにわたしは当時から通販賛成派であったため、現状で文句なしである)

 一般人、消費者の面から考えてみよう。市販薬で還付を受けられるという話もあるが、たとえばドラッグストアでペットボトル飲料やスナック菓子と一緒のレシートに載っている市販薬を、そのレシートを添えて申請するのは、一般人の心理として、なかなかハードルが高いのではないかと思う。かといって購入するときに申請のことを考えてレシートを分けてもらう人(それを思いつく人)も、なかなかいないだろう。なにやらわたしには「制度を作りましたから申請したい人はどうぞ、しなくてもけっこうですけど」という、消極的な意思が感じとれてしまう。

 なぜこんなことを書いているかというと、先日施設から義母(高齢かつ要介護)の足に水虫があるのではと指摘を受けたのだ。だが今週わたしはそれだけのために義母を通院させることはできそうにない。事前にネットで薬の種類を調べて、下準備をしてから何軒か薬局をめぐって、水虫の薬を見てきた。どの店も壮観な品揃えだった。なかには1社の1ブランドであっても「軟膏、クリーム、液体、スプレータイプ(それがさらに3種類に分かれる)」といった具合で在庫している店があり、夏でまさにシーズンとはいえ、棚を見てくらっときた。

 とりあえず、ひとつ買った。半月ほど使ってみて効果がなさそうなら、通院させようかと思う。

データならば未来に残せると、漠然と思っていた

 頭をかかえているところだ。紙ではなくデータなら、未来に残せていつでもふり返ることができ、色あせないと思っていた。だが、それは違うと、何年かに一度、こうして思いしらされる。

 ロリポップ上で運営している独自ドメイン mikimarche.com だが、システムのアップグレードがおっくうで、何年も放置していた。だがそろそろSSL非対応のサイトにはブラウザ上で警告を出すようになると聞いたので(とくにChromeが予定しているらしい)、アップグレードをしてSSLに対応できそうならば手を加えてみようかと思っていた矢先のこと、使っているCMSのシステム Nucleus が、ときどき挙動不審になると気づいた。原因がわからない。
 最初に気づいたのは、6月10日だ。5月22日に使えた機能が6月10日に403エラーとなり、文章だけでだましだまし掲載した。わたしは何も設定を変えていないがロリポップのお知らせを遡って読んでも何か変更があったとも書かれていない。原因がわからないことには、そのうちやろうと思っていたシステムアップグレードで「完全におだぶつ」にしてしまう危険性もゼロではない。

 ならばシステムをアップグレードするまでに、少しでも内部の設定を確認して、変更できるところはしてみようと思ったが、ほかにも403が出る場所を発見してしまった。わけがわからない。パーミッションを変えた記憶はないし、ロリポップ側が何らかの事情でパーミッションを変えたのなら連絡がくるはずだが、そんなメールを受けた記憶もない。

 アップグレードで完全に壊れたら困るので、別の階層に新規にシステムを入れて現在の内容をコピーし、動作確認しようかと思ったが、おそらく記事の内部URLが崩れてしまうリスクがある。そして何より「ブログ開始時のわたしは何がおもしろくてこんな複雑なカスタマイズをおこなっていたのか」と、同じようなカスタマイズを最初からやるつもりになれないことに気づいてしまった。

 アップグレードで新ファイルを上から被せ、403が再現した場合は、お手上げである。だがこういうことに気づいてしまった以上、対策を講じずに同じシステムをだましだまし使っていくことはできない。

 データならば先に残せると、ずっとそう信じてきた。だがレンタルサーバやウェブの環境の変化に対応しつつシステムアップグレードやメンテナンスをしていくだけの、自分の体力(頭脳労働)が、その想像からは、すっぽり抜けていた。

 このブログを書いているWordPressは開発陣がずっと10年以上も勢いを保ってくれているのでまだ書きつづけられるが、Nucleusのように開発が細々としてきたものや、phpBBのように日本語のローカライズが入手できなくなったもの(わたし個人は英語のメニューでもかまわないが読みに来てくださる方はそうえはない)が増えてくれば、利用するシステムを変更して別のものを使わねばならない。自分はずっとものを書きつづけたいが、できるだけ無料レンタルサイト上ではなく自前で書いていきたいという思いは譲れず、いつまで自分の根気がつづくのか、やや心配である。

 さて、mikimarche.comだが、どうしたものか。。。
 できるだけ早く、決断しなければならない。

ブラウザに出る「安全ではありません」表示

 これまでもFirefox等で気配は感じていたが、ついにChromeやSafariなどのブラウザで、SSLに対応していないサイトに出くわすとURL欄にデフォルトで「安全ではありません」という意味の表示を出すようになってきた。何を隠そうこのブログも非対応で、しかも読みに来る人なら問題もないだろうが自分が投稿準備をしている管理画面でも、表示は出たままである。あまり見た目が優雅ではない。

 このブログはロリポップで借りているレンタルサーバ上にあるが、ロリポップは追加料金なしの場合はロリポップの用意した長いURLを指定し直すことで、SSLに対応できる。独自Uドメインを契約していてそれをロリポップ上で動かしている場合は、別料金でSSLに対応(*1)。いまのところは自分の気分の問題で済んでいるので、SSL用の長いURLを指定して利用するつもりはないが、将来的にはどうしたものか。

(*1 この部分、23日に追記: ロリポも独自ドメインの無料SSLに対応していることがわかったので、さっそく設定を準備中)

 さくらインターネットは、独自ドメインを持っている場合は無料でSSLが使える。わたしもバウムクーヘン関連などの一部のメニューでSSLを利用。これは助かっている。

 ロリポが同じように独自ドメイン利用者に無料でSSL対応してくれる日は、来るのだろうか。ロリポでもmikimarche.comという独自ドメインを利用しているので、そちらだけでも対応させられるか……いや、仮に対応してもらっても、長年書いている内容をすべて安全なものに書き直す手間はかけられないので(文中にある外部へのリンクなどをすべてSSL対応のものにしないと、ブラウザによっては「一部の内容が安全ではない」と表示を出すこと間違いなし)、ブログそのものを作り直すことが必要となるだろう。

 面倒くさい世の中になったものだが、こういう機会でもないとシステムを入れ替えることもしないので、きっかけとしてたまに何か「面倒なこと」が、わたしには必要なのかもしれない。

今年のあじさいは、早かった

 あじさいの季節は、練馬区「としまえん」に出かけることが多くなってきた。2015年は5月末に出かけて早すぎた。2017年は6月6日に出かけて、やはり早かったと書いている。
 今年こそはちょうどよいタイミングにと考えていたが、あじさいは早くから咲いていたというのに、5月末のチャンスに行き損ねた。理由は隣接の「庭の湯」だ。5月中旬から下旬までボイラー故障で、温泉ではなく水道水使用(ただし価格割引き)と書いていたため、水道水から温泉にもどってすぐだと大混雑だろうと思い、時期をずらしているうちに、タイミングを逸したのだ。そして今日は、あじさいはもう遅いと思ったため、ねんのために見るだけにして、湯ではなくすぐ横のシネコンで「万引き家族」を見て帰ることにした。
 来年こそは、ちょうどよいタイミングがあるとよいのだが。

 ちなみに、この時期のみではあるが、遊園地部分が休園である火曜日は、あじさい園と茶屋のみなので入場料金は半額の500円となる。また、もし火曜日でなかった場合でも、あじさい祭りの時期のみ、50歳以上の人は半額。

 正直なところ、今日の段階ですでに後半部分のほとんどが終わってしまっていたあじさい園を、今月25日まで料金を取って維持できるのかどうか、園としても判断が難しいのではないかと、人ごとながら心配になってしまった。

 としまえんは、練馬駅から西武線で1駅の「豊島園駅」目の前。JR高円寺駅から練馬駅までバスが出ているため、としまえんに出かけるのは、比較的容易だ。次回からは湯に行くときは湯だけに考えて、切り離して予定を立てるようにしたい。

 それにしても、あじさいのあとに見た映画「万引き家族」。ちょっと、作品としてどうなのか…。個性的ではあるのかもしれないが、総合的な意味では納得ができない部分があった。いずれ、公開が終わったころに機会を見て感想を書きたいと思う。

「湯」という言葉が含む温度と、water / hot water について

 先ほど、湯煎にかけるという表現を英語で説明するにはどうしたらいいのかと考えていた。さんざん考えて、おそらく間違いないと思ったのは —— put a bowl of (品目名) in a warm water bath / ボウル入りの○○をお湯の容器で温める というものだ。

 日本語の「水」は、たいていは冷水である。いっぽう英語の water は、冷たいとは限らない。そのため本来ならば warm water bath の warm (温かい)をつけなくてもよいのだろう。だが、どうしても日本語の感覚にある「温かいからこそ湯」という感覚を大切にしたいと思えばつけずにいられないし、それに料理などで湯煎を説明するならば、warmをつけておくことがより丁寧であることは、間違いない。

 湯について考えてみた。
 ぬるま湯は、おそらく「飲むのにぬるい」場合に使われる言葉で、体温よりほんの少し熱いくらい(36〜38℃)かと思う(*1)。また、いったんかなり熱く熱した水を使って淹れる飲み物(コーヒーなど)は、経過にしたがって途中で冷めてくるため人の口にはいるころには変化しているものの、抽出をはじめるころは90℃前後のはず。これはむろん熱湯である。さらに、入浴について語る場面であれば——「熱い湯」とわざわざ湯に「熱い」をつけるものがあったとしても、人間がなんとか入浴できる温度であることは間違いないため、おそらく43〜44℃のことであろうか。
 つまり日本語の言葉として「湯」だけの場合は「用途に応じた適温の範囲」を指し、そこに「ぬるい」がついたり、「熱い」がつくと「その用途にしてはぬるい、熱い」という話になってくるのではないかと考える。

 お湯ではなく「熱い水」と言っては通じないのかと、hot water の直訳でものを考えてしまう日本語学習者もいるだろう。だが「水を熱して80℃にします」など、日常会話以外の場面で「水を熱する」ことはできても、もし日常会話で「熱い水」と言われたら「謎かけをされているのだろうか」と複雑に考えてしまうのが、日本語ネイティブかもしれない。

 さらに複雑な話になってしまうが、日本語で「湯」には飲用と温泉の意味が強くても、中国語になるとスープ、薬湯の意味が多く含まれる。ときおり外国語間の単語は完璧に対になって存在していると勘違いしている人がいるが、水とお湯 water / hot water の含む範囲のほかに、漢字の通じる文化圏であれば、湯の内包する意味の範囲 hot spring (温泉)、 broth または soup (スープ)、薬湯(これも日本語では入浴の意味にとらえることが多いが、中国語ならばハーブティのように飲むもの)が異なる場合も。それを思えば、単語と単語が置き換えられるという事例のほうが、実際問題としてははるかに少ないと、言えるのではないだろうか。

(*1)
飲む「ぬるま湯」と、手で触って感じる「お湯にしてはぬるい」には若干の違いがあり、プールなどでは「温水」と呼ばれることもあるようだが、飲用の場面で「温水」とは、まず呼ばないと思われる。

美術展示に、幼児連れは、ありか

 乳児はベビーカーなどを利用していることや、寝ている場合も多いため、さほど問題とはならない場合もあるかと思う。だが幼稚園児くらいの、そろそろ自分で歩きまわろうとしたり言葉による自己主張が強まるくらいの年代を、親が美術館に連れてくるというのは、どうなのだろう。

 今日は上野のエッシャー展に出かけた。平日午後なので混雑はそこそこであったが、数組の子供連れ(少なくみても3組)と、たまたま館内で歩調が合ってしまったらしく、移動しても移動しても、子供の声がついてくる。お子さん連れの方も、やはり周囲の雰囲気が気になってしまうのか、どうも入館時にばらばらだった場合でも、いつのまにやら近づいて移動する傾向があるのかもしれない。とにかくわたしと歩調が合ってしまったのは、そうした方々だった。

 その数組の親子連れに関して言えば、むずがって泣いているというよりも、よちよち歩きをしようとしたり、不用意に声を出したことに親が小声で注意してくるのを「自分に関心を持ってもらった」と思うらしく、なおのこと嬉しそうに声をあげる場合が多かったようだ。お母さんが抱っこしながら背中をそっとさすると、そのリズムに合わせてよくわからない言葉をずっとしゃべりつづけている子供もいた。おそらく子供なりに、不慣れな状況の中で親とつながっている事態、大げさな言葉になるが絆の確認のような意味で声をあげてしまうのかと思う。
 小さい子供のいる方に、美術館に来るなというつもりはない。そんなことはたいへん失礼だ。だが入館している人々の「静かに見たい」気持ちも、ある程度は尊重してもらえないのか、両者の中間地点はないのかと、悩む。

 こうしたことにいちいち気持ちを乱されてはいけないと、耐えようとしたのだが、さらに途中で、修学旅行の中学生らと遭遇してしまった。そちらは係員の誘導(展示物のケースに手を触れるななど)を意に介さずに自分たちだけの世界にはいっていて、これもまた心を乱された。見るまい、気にすまいと思ったのだが、余計なところに神経をすり減らした。

 かといって、美術館の脇に短時間のキッズ預かり所などを設置するのも、費用の面で難しいのだろう。そして下手をすると、そういう場に子供を預けてまで美術を見ようというのかと、中傷する人が出ないともかぎらない。難しい話である。

トランプ劇場

 アメリカは、昔からちゃっかりしている。だがこんなにあけすけに、ちゃっかりしている態度を隠そうともしない大統領は初めてではないかとも、思う。

 日本は、小泉首相の在任時を例外として、拉致事件で北朝鮮に直接の話しかけをおこなってこなかった。拉致被害者の一部が帰国されてのち、ほとんどの場合において米国や韓国などをあいだにはさんでは、解決を模索してきた。直接話をすればいいのにと思っていた人も多いかと思う。そして今回またトランプ氏に言及を頼んでおいたところ、ほんとうに言及のみであり(もちろんこれは誰しも予測できたことだが)、しかもその際にちゃっかりと、日本の関係者などがなかなか言えなかった本音「これからは二ヶ国間で解決を検討していけば」という意味のことまで、付け加えられた。
 言及してくれと頼んだらほんとうに言及だけだっただけでも内閣としては傷手だろうが、曖昧な部分が多く残された北朝鮮非核化については、非核化そのものが文書ではなく口約束のレベルというのに、費用については日本と韓国が受け持つという具合に、決められてしまったようだ。普段からペコペコとしている日本が、ここで嫌だと突っぱねられるはずがない。そこを読まれているのだろう。

 さて、いまさら誰も言わない、書かない話を、わたしは書こう。
 アメリカは非核化しなくていいと、誰が決めたのか。自国と一部の国のみが持っていてそれ以外の国には核を認めないという理屈が、なぜ世界レベルで通ると思っているのか。

 人に言うなら、アメリカも、非核化をしなさい。