December 30, 2004

非日常に日常を持ちこむことへの不快

スマトラ沖の地震とインド洋の10ヶ国への津波被害で死者が10万人以上に及ぶのではと懸念されている。大規模な津波被害を経験してこなかった国々にとって、この事態はまさに青天の霹靂だろう。かたや津波報道の発達している日本は、この件をどう見て、どう復興を援助し、これまでの経験や技術をどう他国の方々に参考にしていただくのかと思いきや…。夜はこれらのニュースが少なく年末特番を平気で流すテレビ局たちが、午前はワイドショーのレベルで「日常的なお茶の間の顔」であるレポーターたちを現地に送り、レポートさせている。

別にワイドショーのレポーターたちが「報道できない人たち」と言っているわけではない。能力のあるなしではなく、テレビ局の姿勢だ。「人が見慣れたお茶の間の顔を、非日常の緊急事態の現地レポートとして送りこむ神経がわからない」のだ。これでは悲惨さも事実も何も伝わらない。しかも意図不明なこと「ここはかつて○○(コンビニなどの建物)だったようです」と内側にはいってカメラの前に「物質的な崩壊」部分をさらすような行為も多々見られる。

行方不明の人がたくさんいて、暑さの中で伝染病の心配から「身元確認以前に荼毘にふすしかない」という過酷な状況、それは物質的な崩壊をカメラにおさめてレポートしたつもりになっている人間たちが「故意に伝えようとしていないのではと勘ぐりたくなるほど」悲惨なものであるはずだ。カメラにただおさめることのできない精神的なもの、文化や世界観がそっくり塗り替えられるほどに大きなこと、大きすぎることが現地で起こっている。村単位や島単位でそっくり人々が消えている可能性もある。大多数の現代人にとってそれは想像もできないことだ。

どうせ人を送るなら、もう少し有意義なことに使っていただきたい。

Posted by mikimaru at December 30, 2004 09:05 AM
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