March 17, 2005

通院のこと (1)

あと数回は通院することになると思うが、あまりない経験をしたので、とりあえず3月14日の分だけでも書いておこうと思っていた。だがその前に少しさかのぼって、発症と経過から書いてみよう。おそらく、あと2回くらいこの件で書くかと思うので、今日が第一回になるはずだ。症状はもう快方に向かっているので、その点だけでも安心してお読みいただきたい。

3月12日の早朝、盛岡にて、わたしは体の異変に気づいた。顔の一部(眉の近く)に痛みがあること、口の内部で左半分にかなりまとまった口内炎ができていること、そしてなぜか左腕(肘から下)が痛いこと。

顔の痛みは、朝なので顔を洗おうと手が眉に触れた途端に「びりり」と感じるほどのものだった。吹き出物などが痛む場合には、まずはそれが目に見えてきて1日くらいは経過し、ある程度の赤みが出ていたり、中心が膿んだような色になっている段階を迎えてから痛むものと思う。わたしのその痛みは、まだ見た目には「これから腫れるのか、それとも棘でも刺さったか?」といった具合で、何もわからなかった。見た目でわからない段階でこの痛み方はちょっと何か違うな、と思ったのだが、何がどう違うのかわからない。

左腕の痛みも意味がわからず、筋肉痛かと思って放置しておいた。

口内炎は2年ほど前から体質になっていたので慣れっこだが、だいたいは最初の数日で少し口内炎が出て、それが治らずにいるうちに大量発生するというパターンが多い。気づいたときすでに左側に大量発生というのは、火星人襲来と同じくらいの衝撃だった。

ともあれ、滞在先の家から駅前の薬局まで出かけて、すぐに口内炎治療薬を入手し、大量に塗りつけて安心していた。

いろいろあって、その日の夕方には東京にもどれることになったので、わたしがとった対応策といえば口内炎の軟膏程度だ。午後早めの新幹線に乗り、東京駅に移動。だが東京に向かうころには「眉の上の痛み」は腫れてきて、左腕はどう考えても筋肉痛以上に思われ、口内炎は口全体に発展しつつあった。

何度も書くが、こんなスピードで広がる口内炎は、口内炎歴2年のわたしでも初めてのことだ。精神的に不安になった。

新幹線から降りると乗り換えもスムーズに、わたしは夕方の5時くらいには東京の家にもどっていた。途中で買ったジャンクフードを手みやげに、それを食べながら少し会話をしたのだが、口がすでに痛くなっていて食べるのがつらく、ポテトを残してさっそく寝てしまうことにした。疲れたときには寝るのだ、それしかない、と――。

眠ろうとしたが、寒気を感じたので風邪かと思い、ひきはじめの風邪に効くと言われる葛根湯成分のドリンク風邪薬を1本飲んで、布団にもぐった。痛みが増して障子の開け閉めも苦痛を伴うようになっていた左腕には、冷やすか温めるか迷ったあげくに、温湿布を巻いてしまった(←これは大きな間違いだった)。

1時間後、寒気がおさまっていた。左腕の痛みが常識的ではないと気づいてあわてて剥がし、チェックすると湿疹のようなものが出ている。湿疹が出て左腕の神経に食いこんでいる、だから痛むのだと気づいた。しかもその湿疹、気のせいでなければかなりの熱を持っていた。わたしは「熱を持っている湿疹を温湿布で温めていた大ばか者」だったのだ。(だが貼ったときには湿疹が見えていなかったのだから、仕方ない)

それから夜中まで、うとうとしては目覚めつつ、事態の異常さに困惑していた。口内炎は口中にひろがりつつあった。舌で触れて確認していると「あれ、こことここ、膨らみそうだ」と気づいた場所があり、まもなくそれは肉眼ではっきりわかる大粒の口内炎になった。このスピードは何なのだろう。

顔の腫れが、もしやこうした湿疹の仲間なのかもしれないと、ようやく気づいた。顔の肉はほかより余裕がなく張りつめているから、違う経過をたどっているだけかもしれない。

ときどき、寒気がして気持ちも悪いようだ。不安だからなのか、あるいはほんとうに寒気が数時間おきに襲ってきているのか。だが風邪の症状はいっさいない。なんだ、なんだ、この変な状況は?

わたしは気になることがあったら、できるだけかかりつけの医院に行こうと決めている。だがそれがわかりつつあったのは土曜から日曜になろうとしている最悪のタイミングだったため、不安が募った。こんなわけのわからない状況を、知らない病院の休日当番医や、救急病院の当番医に聞いてもらえる自信もない。日曜に何があろうと、よほどおかしなことがなければ月曜まで待とうと決めた。

左腕は、日曜の午前くらいにはもう、好きな方向や好きな角度には動かせなくなっていた。湿疹が増えて(その段階ではすでに疱疹と呼ぶにふさわしいものになっていたので、以下は疱疹と書く)、それが腕の神経にすっかり食いこんでいるような気がした。服の上から触っても左腕の熱がわかるほどだった。

ほかの部位にも疱疹は増えつつあったが、土曜の早朝から痛んでいた左腕を除いては、疱疹「そのもの」が痛む程度で済んでいた。つまり、疱疹が熱くて痛いだけで、その周囲の皮膚は普通に皮膚なのだ。だが左腕については、何がどうなっているのかわからなかった。ときおり指まで動かせないほど痛んだ。

"医者に診てもらえば処方箋が出るから強力な痛み止めにありつける、今日だけはバファリンで鎮痛しよう"と、それだけを心の支えとして、朝から2〜3回はバファリンを飲んだ。だが口内炎がひどすぎて何も食べられないので、ウィダー・イン・ゼリーほかビタミンやカロリーのゼリーを各種買ってきてもらってそれを半袋くらい口に流しこみ、どうにか胃に落としてバファリンを飲んでいたところ……そのせいなのか、あるいはバファリンがこういう症状に合っていなかったのか、午後になって少し吐いた。

日曜日の夕方になると「あと何時間で医者に診てもらえる」と、半日以上先のことを30分おきに時計を見て確認することだけが心の救いとなった。体が痛くて横になっても熟睡できず、少し寝ては目を覚ますことをくり返しながら、ようやく3月14日の明け方がやってきた。

後日につづく(たぶん)。

Posted by mikimaru at 11:32 PM | コメント (2)

1989年のテレビドラマ「空と海をこえて」

ようやく体調が快方に向かっている確信が持てたので、不調だった筋肉のリハビリも兼ねて、両腕そろって記事を書いてみる。

先日テレビ番組でジャン・アレジを見かけ、後藤久美子はいまどうしているのだろうと思った途端、わたしがパソコン通信をはじめるきっかけのひとつとなったテレビドラマを思いだした。テレビドラマデータベースでも確認したが「空と海をこえて」というタイトルの、日立スペシャルだった。1989年放送のようなので、ほぼこれで間違いないだろう。
(データについては、http://www.tvdrama-db.com/に出かけ、全文検索という欄からタイトルを検索してください)

後藤久美子が演じた少女はパソコンを持って沖縄に出かけ、倒れてしまった仲間の窮状をパソコン通信で世間に訴える。すると人の関心が集まって、必要な情報が集まってくる。そのメッセージを読んでいた英語の先生(中原理恵)が英語で海外のネットに情報を流し、最終的にはパリにしかない珍しい薬が必要だとわかって、パリにいる青年がたまたまパリを旅行していた日本人(小林聡美)にそれをあずけ、彼女はきゅうきょ帰国する。

パソコン通信で数日間の苦楽をともにした人たちは、相手の現実社会での存在も知らないまま街にもどる。。。そんな話だった。まあ、話の出来としては「とてもすばらしい」というものではない。一般的な評価としては「並」だろう。

わたしは当時「パソコン通信てどんなのだろう、やってみたいな」と思いつつ、本を読んでも「ほんとにおもしろいのか?」という、いま一歩踏み込めないところがあった。そんなときにこのドラマを見た記憶がある。「よっしゃ、とりあえずはじめるか」ということで、最初に東芝Rupoというワープロ用の専用ソフトとモデムを買ってパソコン通信をはじめた。それから1年少しくらいして、パソコンを買ったのだ。

アレジをテレビで見てこんなドラマを思い出すのも不思議な話だが、とにかく、ある意味でわたしの現在にかなりの影響を与えた存在であることには違いない。

Posted by mikimaru at 05:13 PM | コメント (0)