February 28, 2005

「南セントレア」への反発

以前に「南セントレア反対のためトラックバックをお願いします」などの運動を目にしていた。そのときは"地元の人はたいへんだな、嫌だろうな"と感じただけで、積極的には何も活動しなかった。だがあるブログで"合併予定の土地がどこにあるかもしらない他県の人が、なぜ反対するのか"という意見を読んで、そのときからちょこちょこと考えていた。合併そのものが解消になったとのニュースを見た記念に、この件を書いてみる。

自分の土地で何かとてつもなく不快なことがあったら、直接それを訴えると同時に、他県の人に助けを求めて「外圧」をかけてもらおうというのは自然な発想ではと思う。そして訴えを聞いた側も、自分の側で同じようなことがあったら聞いてほしいと考えて、抗議のコメントなどを発したり、何らかの行動に出ることがあるかもしれない。嫌がらせまですればやりすぎだが、他県の住民からの抗議の声があがることは、それほど変なことではないと思う。

ただ、住民などから要請もなく、カタカナだからとか、日本の地名にふさわしくないなどの理由で、熱心に抗議をした人もいるかもしれない。カタカナ市名が氾濫しては日本らしさがなくなるなどの考えから、カタカナ市名そのものに反発してしまいがちな傾向が、国民の何割かにあるかもしれない。数としては少ないだろうが、わたしならばそこまではしないと思うとしか、言いようがない。

話がずれるが、たとえば夫婦別姓など、自分の家族でそれをしたくない…というのを通り越して、世の中の人たちみんなにそれをしてほしくないという反発に、苦しんでいる人はいる。全員が別姓にするという法案ではなく、したい人はするという選択制の案しか出ていないのに、なぜそれほどまで「みんな一緒」にこだわるのか。

何かに強く反対するとき、それが自分の感覚によるものが大きいかどうか、よく考えねばと思っている。以前からわたしは「日本でサマータイムを導入してどうなる」と反対意見を持っているが、エネルギー問題ほか、何かほんとうにメリットがあると理屈や数字で示してもらえるなら、わたしの感覚的なものはおさえて、サマータイムに賛成しなければならないだろう。

さて、今回の「南セントレア」。
結論を言えば、地元住民に新市名のアンケートをとっておきながら、1つも出なかった「南セントレア」にいったんは決定したという、住民無視の姿勢に不信感が高まったという点につきると思う。ようするに「住民にはいちおう聞いてあげたのだから、こちらの思う意見を通させてもらう」という"お上の意識"があったのではないだろうか。

Posted by mikimaru at February 28, 2005 04:22 AM
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