August 26, 2005

理屈ではなく、染みついたもの

話は数週間前にさかのぼって、テレビで「たけしの本当は怖い過家庭の医学」を、ちらちらと見ていたときのこと――。

(余談を最初に書いてしまえば、わたしはこの手の番組が嫌いで、できるだけ見ないようにしている。もともと病院にすぐ行くタイプの人は余計に怖がり、もともと行かない人は番組を見ないのではという気がするのだ。要するに、人を怖がらせる結果にばかりつながりやすい)

子供の発熱には、布団をかけて発汗を促すのではなく、涼しくするのが正解だという医師の発言があった。記憶に基づいて書いているので、以下に関してわたしの記憶が正確でないと思われる方はコメント欄にご参加願えればと思う。発言の大まかなところは
● 大人ならば「発汗で熱が下がる」という理屈がわかっていて、暖かくしていればいいということで効果がある
● だが、子供にはその理屈よりも布団内の暑さからくる不快感でもがいてしまうので、まずは涼しくして不快感をとってやる
というものだったようだ。

たしかに、わたしが子供の時分でさえ、小児科医には複数の見解があった。母が(わたしのかかっていた)A医院では暖かくしていろと言ったのに、お隣さんがかかっているB医院では薄着にしてクーラーをがんがんかけろと言っているそうだと、首をかしげていたのも覚えている。医者には複数の見解があってよいと思うし、状況に応じた正しい理解と実践を心がけたいとも思う。

だが、何かわたしはカチンときた。最初は自分でも気づかなかったのだが、その正体はその番組に出演した医師がときどき口にした「古い考え」といった表現または言葉の端のニュアンスだ。自分の見解は正解で古くから人がおこなっていることは古くて不正解、これは仮に普段からそう思っているのだとしてもテレビで言われたくない。わたしは親から「汗をかくと熱が下がるから、暖かくしていましょう」と言われて素直に従い、熱を下げてきたのだ。それで何の問題があるのだろう。

……と、以上は前置きだ。これから別の話にはいるので、その前に補足しておくと、ある小児科医が開設しているサイトでは「子供の熱が"上がっているときに暖め"、下がりかけたら涼しくする」という見解があった。これはなかなか合理的で頭にはいりやすいのではと思う。

さて、本題。

わたしはこれまでずっと「なぜ理屈ではこちらが正しいのに年寄りはそれがわからないのか」と、世の中にかみついてきた。「石頭」とか「理屈ではなく感情で人の話を拒絶するな」と思ってきた。だが、たったひとつの事例、テレビ番組で医師の態度に反発を覚えたというだけであっても、両方の立場がわかるきっかけになったようだ。

自分には何の問題もなかったことを、新しい考え方が出てきたからといって「古い」と切り捨てられる、廃止してしまえと言われることに対して、個人の記憶でも過去の生活でもなく、もっと大きな「過去の時代そっくり」をばかにされたような気がしてしまう――こういったご経験は、ないだろうか。

若い世代は上の世代についつい「ばかみたい、理屈が通っていないから説明しろ(どうせ自分が論破する)」という態度を取っていないだろうか。これでは相手は話を聞く以前の問題で話を拒絶してしまう。また、上の世代は若い世代に「話すまでもないこと」と、「自分たちは経験でこれまでのことをなしてきた、あなたも年をとればわかる」と、無言で押さえこもうとしていないだろうか。

この両者の溝が埋まることは永遠にないのだろうが、最近どうも両方の気持ちがわかるようになった。たとえば靖国。わたしは「靖国がさくさくっと合祀してしまったのは、人の関心が薄くなった時期のどさくさまぎれではないか、事前にじゅうぶんな検討はなされたのか?」と思ってきた。解決策にしても、「分祀してしまえばいいのに」と――。だが、人の心が眠る場に対して、生きている人間のお家騒動や遺産相続のように、分けろだなんだと簡単に言えることなのだろうか。ある人々にとっては魂の眠る場所、別の人々にとっては遠い問題。あきらかにわたしは後者に属するのだから、軽々しく何か言えるとは思えない。
(この件に関しては内田樹の研究室:霊の件なんだけどが、とてもおもしろい)

さて、卑近な例で締めくくっておくとしよう。
ホリエモンが亀井静香氏とテレビ討論をしていると(討論にはほど遠いが)、まさに上の縮図のような気がする。広島六区の人はどういう判断を下すのだろうか。

Posted by mikimaru at August 26, 2005 09:16 AM
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