May 21, 2006

「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで

映画も公開になったようだが、それ以前に読んでおこうと思っていた文庫が、ようやく読み終わった。

おもしろいかつまらないかと聞かれたら、おもしろい話だとは思う。だがテレビ番組の「24」ではあるまいし、スピーディならよいというものではないだろうとも、同時に感じる。

これはなにも、事件発生から解決まで(誤認逮捕されずに済んだ状況をこの場合は便宜的に「解決」と書いておく)の過程に何日もかけろというのではなく、登場人物らのあいだで意見交換をする「説明の過程」だ。

主要な登場人物たちは高度な教育を受けている。いくら状況が異様だからといって、耳にしたことのない話を「なるほど」と信じこむには、一般人の何倍もの時間がかかって自然だろう。また、高度な教育を受けること、そして何らかの道に秀でていくことは、多少はよその分野や異説にも通じていくことにつながる。言語と数学に強いというだけでは暗号解読の専門家にはなれないはずの登場人物ソフィが、ほかの登場人物らが喋りまくる説に一般人のような反応を見せ、そして順序よく話を吸収していく速度に違和感を憶えた。X-Filesのスカリーやドゲットのほうがよほど頑固だったと、懐かしく思い返した。

読者の大半が一般人である以上、これはこの小説にかかわらず多くのフィクションに通じることだが、登場人物の誰かが「初歩的な質問をして答えを引き出す」(読者に解説する)質問係にならなければならない。そのため、ソフィが聞き役になる展開は、多少は無理もないことと思うが。。。それにしても、もう少し細やかな描写があったらよいと思えた。

また、ここから先は完全に「好みの問題」だが、わたしはフィクションの重要な部分が「生まれ」や「血脈」に依存する話が苦手だ。そういう話は多いが、これはそのうち何割かが「話が楽で説明が省ける」、「何でもありに近づける」といった作者側の手抜き願望によるものかと邪推している。

もしソフィがラングドンと同様、完全に「役割」として選ばれ事件に巻きこまれていく話であったら、もっと楽しめたように思う。重ねて書くが、好みの問題であるとは承知の上だ。

Posted by mikimaru at May 21, 2006 12:23 AM
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