May 22, 2005

愛の流刑地:なんで朝からこんなもの

日経新聞の朝刊に愛の流刑地という渡辺淳一作の小説が連載されているのだが、最初こそ「こんなバカな話は意外なオチがあってしっぺ返しを食らう展開になるのだろう」と普通に読んでいたが、途中から怒りにも似たあほらしさを感じている。なぜこんな低級小説を朝から読まなければいけないのだろう。読まなければいいという理屈はあてはまらない。一般紙ならテレビ欄のある最終面の下半分に載っているのだ。嫌でも目にはいるというものだ。

上述の「怒りにも似たあほらしさ」というのは
○ ようするに色ぼけな50代が30代の人妻と愛しあうのだが、視点はその50代男の側にあり、男は自分の都合のよいように女を変えていく
○ ふたりで会って、行為に及ぶ以外の描写は(会っていない期間は数日以上〜数週間あるのに)短くて数行、長くて数日間の連載で終わってしまい、あとは延々と……
というのが、大きな部分。

最初は、そんな都合のよい女がいるわけないからどこかに嘘が混じっていて男はふられるとか、別れさせられるとか、そういう話にいくのかと思ったが、いつまでたっても上記の繰り返しなのだ。あほらしい。

自分好みの展開ではない小説だから、わたしがいらだっているのだろうと思われても困る。わたしはごく普通の神経をもった、ごく普通程度の小説愛好家だ。こんな小説で喜ぶ人がいるだろうと、日経は新聞購読者をなめているのではないだろうかと勘ぐってみる。それとも、これでうはうはと喜ぶ人は実際に多いのだろうか? 所詮世の中は多数決だが、まじめな新聞と思って購読しているし、こんなものに喜ぶ人ばかりではないだろうと思うと、いらだちが日増しに高まる。投書してやろうかと、7割くらいまじめに考えている。

この件、ずっと書きたかったのだが、熱心な愛読者の方々への遠慮があって迷っていた。今回思い切って書いてみた。

Posted by mikimaru at 08:06 PM | コメント (8)

病院もいろいろ

わたしは気に入った病院があるとそこばかり行くので、ここ数年に関しては数軒しか比較しようがないのだが、すぐ近所にある某クリニックと、最近出かける某総合病院に関して言えば、傾向に違いがあるようだ。

まず某クリニックのほうだが、症状をありったけ聞いたあとで、それらの諸症状を緩和する薬を出す。なので、たとえば風邪で熱があり鼻水がひどくてお腹が痛い、となれば、炎症を鎮めて解熱作用のある薬と胃腸の薬、そして点鼻薬が出る可能性がある。さらに症状が悪化した場合に備えて少量の解熱剤と下痢止めも出るかもしれない(ひどいときのみという注釈付きで)。

いっぽう、某総合病院のほうは、一番の原因になっているのが何かを考え、どうやらそれを狙い撃ちするようだ。胃腸の調子が悪くて熱があると言うと、症状をありったけ聞いたあとで、整腸剤と消化器官の薬しか出してくれない。高熱ならばともかく微熱程度ならば、胃腸が治ればすべてよくなるということらしい。

(たまたま上記の事例はひとつずつだが、わたしは両方で複数の機会、別々の医師に診てもらって、そういう印象を受けた)

どちらのタイプがよいとは一概に言えないのだが、素人考えだと前者のほうが安心できる。きちんと言ったとおりの薬を出してもらえたと思えるからだ。後者は不安に思うことがあっても、飲んでいればけっきょく治るのだから、医師を信じるしかない。最終的には信頼関係の問題だろう。

最近わたしが遭遇した医師はきちんと話を聞いてくれる人が多く、薬も「以前にこれこれは合わなかった」などというと、似た効き目のものを指定してくれる。わたしにとっては幸いなことに、たまに知人などから耳にする横柄もしくは診療に不慣れな医師には、出くわしていない。

Posted by mikimaru at 07:40 PM | コメント (2)