ビデオ屋で、ジーナ・ローランズが出るらしいというだけで借りた、予備知識なしの映画。
The Skelton Key - IMDB (英語)
仲たがいして会うことのないまま父を亡くした25歳の女性キャサリンは、ホスピスで末期患者に接しながら、将来は看護の仕事に就こうかと考えていた。父のように寂しい死を迎える人がないようにとの思いで人々と接していたが、患者が亡くなったあとの事務的な対応にかえって疲れを感じ、田舎町の大きな家に住み込みの世話人として転職を決意する。
その家には、1ヶ月前に倒れて死が近い老人と、その妻(ジーナ・ローランズ)が暮らしていた。南部の人間がよかったと不満を言われ、不親切な対応をされた主人公は去ろうかとも思ったが、ふみとどまって老人の世話をすることに。
その家には部屋がたくさんあり、ほどなくキャサリンは「家のどの部屋でもあけられるキー」を渡される。だがその鍵(スケルトン・キー)でも、あけることのできない部屋がひとつだけあった。
怖い方面の映画なのだろうとは想像がついたが、どう怖いのかはまったくわからず、前半は身構えた。何度か書いているが、わたしは血ドバッやら、ゾンビなどはまるで平気だが、バッチイ系の恐怖、それにプラスして血の忌まわしさがらみの話(アメリカ映画で描かれる田舎の猟奇殺人鬼は、閉鎖的な環境や近親相姦のような「おぞましい」方面の話として現れることが多々ある)が、苦手なのだ。どういう方向で攻めてこられるか予備知識がないので、警戒していた。
――最後まで見て、まあ、そこそこ楽しめた。こういうストーリーは、キリスト教色が強い地域にはよくある話でも、日本映画にはあまりないんじゃないだろうかと思う。
日本で「家に何かいる」とか「とりつかれる」という話を作った場合、たいていは「自分が殺される」あるいは「大切な人が殺される」から、抵抗するという話になるだろう。死んでこちら側にいられなくなるか、あちら側に行かねばならなくなるのかといったことへの抵抗だ。
だが、悪がつづいていく、自分が脅かされる(生死ではなく「自分」が)ことへの抵抗感と恐怖は、日本の映画ではあまり強いメッセージ性を持たないものではないかと想像する。
ジーナ・ローランズといえば30年近く前にニューヨークで銃をぶっ放し、柄にもなく子供を守った「グロリア」で、世の中のハートをわしづかみにしたおばさまである。現在はその面影は薄くなったものの、よく見るとなかなかきれいなお方で、「ドリュー・バリモアがあと30年くらいしたら、こんな顔」と、けっこうまじめに考えた。いや、ほんと、これはマジで。
Posted by mikimaru at April 4, 2006 12:37 AM| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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