August 13, 2005

mikimarulog「ほぼ一周年」 (2)

というわけで、2005年1月から7月までのまとめを、数日かけて書き足していく予定。トップページからご覧の方は、内容が書き足された段階で「続きを読む」を押していただければ読むことができるので、ご活用ください。

さて、8月12日といえば、日航機墜落から20年だ。わたしはその日、徳島の友達の家に遊びに出かけていた。事故の概要と規模がわかってくるにつれその場のみんなで真剣にテレビを見つめ、何人が生き残っているのだろうと話したことを覚えている。その翌々日くらいに東京へもどるのにはキャンセル待ちで飛行機を利用する予定だったが、多少の不安があったことは否めない。

20年が過ぎたというのに、事故原因についてまだはっきりとしない部分があることをテレビ報道などで改めて知った。たしかに当時からいろいろな噂や憶測はあった。だが遺族や関係者の心を乱すようなことをいたずらに口にするのもどうかと思い、わたしはネット上などで無責任なことは書かずに沈黙していた。しかし、もっとも憤りを感じているのは当の遺族や関係者であるようだ。苦しみそのものを分かちあうことはできないが、誤っているかもしれない正式発表のまま世間が沈黙してしまうことに耐えられないといった気持ちは、わたしにもじゅうぶん理解できる。

さて、では近日中に追記をしていく。
書きあがる前に、それ以外の記事を新規に書いてしまうこともあるかもしれないが…。

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では、書き足しを開始 (8/14夜)

2005年1月は、なんといっても架空請求の話題。記事にする前に検索をしたらGoogleでは1件しか引っかからない団体名だったので、載せたのが週末だったにもかかわらず100人くらいの方がトップページをご覧になり、週明けには200人以上の方がやってきたので、かなり驚いた。
(ちなみにわたしのブログはトップページしか数字をカウントしていないので、記事をご覧になっただけで去った方はもっと多いはず)
だが、まもなくその団体名が珍しくなくなると、数日して普通のアクセスにもどった。

そのほかには、お菓子の材料、映画、Movable Typeカスタマイズ(カテゴリを分割表示)などの話題があった。正月から別館の食べ物ブログをはじめた。

2005年2月は、熊本県のふりかけ御飯の友を東京でが、大勢の人を救ったようだ。わたしも自分で書く前は「どこで売っているのだ?」と思っていたが、おそらく東京の何十人かの人をこれで救ったに違いない。
それからなんといっても某ホリプロのタレントさんの記事、これのせいだと気づくのに時間がかかったのだが、カウンタが1日で450になった。ロリポップのカウンタが壊れたかと思ったのだが、広告配信数がいつもの何倍かあったので、間違いなかったようだ。
そのほかでは、時期が時期なのでチョコレート(バレンタイン)の話や、菓子材料関連の話題が多かったように思う。

では、またつづきを書きに。

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8月15日夜に追記。

2005年3月は、やはり通院のことが大きかった。「だらだらっと書いている」という印象もあると思うが、日曜から水曜くらいまで左手がよく動かせない、タイプがしづらい、ネット巡りも右手だけでやっていた記憶がある本人にしてみれば「直後によくあれだけ書いた」と、あらためて思う。そうまでしてなぜネットをやったかというつっこみはナシでお願いしたいが…。あのころは「のちのち大きな病気ということがわかるのかも」という不安もあった。だがけっきょく、原因不明だった。いまでも、2ヶ月に一度くらい通院してくれと言われている。

この月は、Windowsが本格的に不調になったのでMacをメインマシンにするべく、ソフトのインストールやカスタマイズに本気を出していた。

2005年4月は、尼崎脱線事故があった。
コメント欄がにぎわった記事としては家族の呼び名がある。重大な記事としては輸血用の血液が足りないだが、この問題は今後どんどんと深刻になるのではないだろうか。

そして、2005年5月
小粒な記事が多かった。読めばそれなりにおもしろいが、まだ数ヶ月前のことであるためか、懐かしさもない。愛の流刑地:なんで朝からこんなものを書いた。この小説、いまだに連載がつづいているのが驚きだ。

2005年6月は、買い物の記録とMac用エディタの話題が(いつもよりは)多め。
2005年7月は、最近のことすぎてとくに何もコメントすることがない。

というわけで、これから1年も、またがんばってつづけていきたいと思うので、皆様よろしくお願いいたします。

Posted by mikimaru at August 13, 2005 03:24 AM
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