December 30, 2006

映画:さゆり

去年の年末は「アイ・アム・サム」で感動の大泣きをしたというのに、今年は「さゆり」で笑って終わるのかもしれない。

コン・リーお姉さんのヘアスタイルが突然の火事で焼け出された直後の花魁に見えてしまう。季節はどう見ても春なのに、ワッフルコーンみたいな形の容器でかき氷を食べるシーンがある。誰かのペットが(戦前なのに)小型洋犬だったし、原作では祇園だったと思うが中華街(しかも下層な雰囲気)にしか見えない。中途半端な字幕(*1)。あれやこれやと、つっこみどころ満載。笑いが止まらなかったのは、街のどこかの門に「はなまち」と書いてあったこと。書くか、そんなこと!?

チャン・ツィイーとミシェル・ヨーが揃った場面では、グリーン・デスティニーを思い出してしまったが、さすがミシェルお姉さんは貫禄が違う。最初にスピルバーグが映画化権を獲得したという話題がでたころ、いったんマギー・チャンに内定していたが(さゆり役はヨーロッパで活躍する若手日本人舞踊家がオーディションで決まっていた)、ミシェルに関してはよかったかもしれない。

男爵役のケリー・ヒロユキ・タガワの使い方、ちょっともったいなかったなぁ。いい役者さんなのに。

まあ、全体的には「アメリカ映画ってこんなもんでしょ」ということで。


(*1)
わたしは原作を英語で読んだのだが、そもそも Memoirs of a Geisha の 「芸者」からして間違っている。祇園では「芸妓(げいこ)」であり、芸者は関東だ。このあたりの誤解をそのままにしておいて、中途半端な字幕操作があった。「芸妓」の前の段階として「舞妓(まいこ)」があるのは普通だが、字幕では「半玉」となっていた。半玉は関東風に言うところの芸者の前の段階、つまり舞妓。

字幕だけでも関東風に統一したといいたいのかもしれないが、舞台は京都であって、台詞にもさんざん「大阪」などが出てくる。かなり矛盾している。

つまり、だ。。。タイトルから「メモワール・オブ・ア・ゲイシャ」の「ゲイシャ」をはずして「さゆり」にしたのだから、思い切って字幕をぜんぶ「芸妓」にしてしまう選択肢もあったわけだ。それはそれで京都の方々から苦情が来てしまうかもしれないが。

だが、千代が最初に置屋に来て脱走をはかるシーンのこと。あの屋根と屋根の連なった光景は、原作を読んでわたしが頭に思い浮かべたものとほんとうによく合っていた。そこだけは妙に落ちついた気持ちになって、懐かしさすら感じた。あの感覚はなんだったのだろう。

Posted by mikimaru at December 30, 2006 10:22 AM
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